「外国人が熱狂するクールな田舎の作り方」山田拓 新潮選書
著者は30歳手前まで外国で働いていた。
日本に帰国して、田舎に住みたいという思いで岐阜県飛騨市に住み着いた。
飛騨の国は、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の区域。
飛騨市とは飛騨古川のこと、たんぼ道の中をサイクリングで回った。
これが外国人にはウケました。欧米には畑はあっても水田はない、珍しい景観です。
国や県市の予算がつく。ただし、毎年とは限らない。選挙で市長が変われば予算打ち切りもある。
独立して融資を受けることとする。信用がありません。大物を身代わりに立ててその信用で融資を受ける。
飛騨古川に外国人を誘致し始めた。
(株)SATOYAMA EXPERRENCEという会社を立ち上げた。
里山を売るのだ。里山の景観を売るのだ。
苦境もあったが乗り越えて、社員10人の会社になった。退職者で同業を開拓するものもいる。
知られていないパイオニアの奮闘記です。良書です。
鳥居前に到着、鳥居は石造りだが扁額の文字が摩耗して読めない。2004年_3月19日に釜峰山に登っているが、その時の記録では[鳥居の扁額は鎌峰宮、建造年は明治の頃だ]とある。
昔は、釜峰、鎌峰、どっちでも良かったみたい。
鳥居の前に献灯や功績碑、これも明治の頃のものだねぇ。最初の登山から22年経過しているんだもの、石も風化摩耗して読み取りにくい。
さて、ここで腕組みして考え込む。この先自転車で登って行くかい。
このあと、0.8キロメートルだということだが、気乗りしないなぁ。道には杉の枝が落ちていたりで障害物競走になりそうだなぁ。止めた、ここで打ち切ろう。
800メートル先に社があるんですよ。説明板によると、社ではなく山門なんだそうな。中に巨大な天狗の面がある。その昔は天狗社と言ったのだそうな。
登り詰めると巌頭があって、そこが釜峰神社の本殿になる。明治から太平洋戦争までは戦の神様として評判が上がった。出征兵士が生きて帰れる、ということだった。戦後は交通安全の神に看板を変えた。
尾根の上まで登ると城跡がある。広場があって、そこが城跡。尾根に鋸状に堀切が設けてあって、ひとつひとつの掘り込みが深いのだよ。こりゃぁ攻めるも守るも大変だよ。
尾根に上ると頂上まで行ける。20年前のことだからね、当時展望は良かったが、現在はどうなのか、そこは保証できないね。
今日は行かないけれども、行けばこのようになっているのだ。
編集が終わりました。新しいページをアップしております。
これは途中の部分です。
この前後は
下のリンクからお入りください。
http://sherpaland.net/bike/2026/bike-261007-kamaminesan/bike-261007-kamaminesan.html
「HOTEL NIGHTHAWKS」小路幸也 徳間書店
大貫大我は札幌ススキノのホテル・ナイトホークスに就職した。
ホテルのオーナーは鷹羽みこと、もう老齢なのだ。
ホテルの敷地は明治維新の外国居留地の関係で失地の扱いとなるのだそうだ。
お話しはふたつ。
ひとつは結婚披露宴で花嫁が蒸発する。身代わりの花嫁を立ててくれぃ。
無事乗り切りました。
ふたつめ、命を狙われるピアニスト、幼馴染がやくざNO2の座にいる。
ピアニストやくざ、結婚しなさい。そのうえで鷹羽家の養子に入りなさい。
結婚披露宴はホテル・ナイトホークスで挙式される。
やくざの組長が招かれ、その場でNO2の絶縁状に署名し、やくざから素人に戻る。
列席者を見ると受け入れざるを得ない面々なのだ。
ひとつめとふたつめの話は繋がっているのだ。
最近のコメント