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2008年6月30日 (月)

犯人に告ぐ

「犯人に告ぐ」雫井脩介 双葉社
なんだかこのお話し、すでに読んでるよな気がしていました。
そうではなかった。
去年だったかな、映画化されて、テレビコマーシャルでさんざん予告編を見ていたので、もう読んだような、そんな気がしていたものでした。
お話しは、前振りとほんぺんと、ふたつが絡み合っています。
児童誘拐事件が起きました。子供が殺され、犯人を取り逃がす、という最悪の結果となりました。
現場責任者のヒーローは、記者会見で、上司のまずい指揮を言い訳にかわすわけにもいかず、質問・糾弾が次々と続いて、ついに切れて反論反発してしまいます。
僻地へ転勤が決定です。
6年後、まずい指揮を執ったキャリアが凱旋して、県警本部長として帰ってきました。
学童連続殺人事件があって、手詰まりとなり、迷宮入りの様相を呈していました。
ここは、県警本部長として光るところを見せねば。
僻地のヒーローを呼び戻し、捜査責任者が捜査の実態をテレビニュースで公開する、このような劇場型捜査を命じました。
これが本筋ですが、裏筋もあります。
上司の課長はキャリアです。
大学の同級生に振られたことがあります。彼女はテレビのニュース番組のサブ・キャスターになっております。
捜査の内容は全部わかります。
女の気を引くために、捜査の内容を小出しに伝えます。
裏番組では、県警の捜査官が番組に出て、捜査の内容を伝えるのですから、勝負になりません。
視聴率は引き離されていきます。
視聴率の回復に女キャスターはそのリークを利用することにします。
結末は予定調和で勧善懲悪で終わりますが、警察小説て、なんて面白いのでしょうね。
犯人と戦いながら、同時に警察内部で戦っている、ダブルでハラハラするところがええのでしょうね。

2008年6月28日 (土)

ブラックペアン1988

「ブラックペアン1988」海堂尊 講談社
ペアンとは、止血鉗子で鋏のような形状のものです。
ブラックペアンとは、おっとっと、これは物語を決めるキーワードですから、触れないでおきますね。
1988とは1988年、田口、白鳥コンビが活躍する前の時代だと示しております。
世良は医師免許を得て、大学病院での修行が始まります。
1988年当時ですから、今の研修医制度ではなく、インターンの時代だと認識しておいてくださいね。
いやぁ、外科手術が何例も出てきます。
さすがに、現役の医者が書いただけに臨場性、雰囲気、血の臭いまで感じられるようです。
バチスタシリーズでの田口医師は、ここでは大学医学部の学生として顔を出します。
そういえば、ここの主人公の世良医師はその後どこかの作品で顔を出すことがあるのかしら。

2008年6月26日 (木)

三世相

「三世相」松井今朝子 角川春樹事務所
サブタイトルに「並木拍子郎種取帳」
並木拍子郎とは、奉行所の町方同心の弟で、芝居小屋の町に居ついて身過ぎ世過ぎをしています。
師匠は芝居小屋の座付き作者で、その手先として、芝居に仕立てる、世間の荒事和事のネタを拾ってくるのが仕事です。
中篇集で、5篇を集めたものです。
題名の「三世相」とは、暦・占の本で、毎年出版されるもの、今でも高島易断のパンフレットが出ていますが、あんなもんです。
占のパンフレットはお話しの出だしのちりばめネタです。
本筋は、占い師、よく当たる占い師、客は困って占いに顔を出すのだから、掻き回して、金儲けの材料にするのは簡単。
そんなこんなのお話しです。
松井今朝子は、歌舞伎、芝居の業界に詳しい、へぇぇ、と驚き感心するネタがいっぱいで、瑣末な情報のひとつひとつが面白いです。

2008年6月25日 (水)

倉吉・関金の要害山、地元の名前は八幡山

地蔵院参拝のあとは、地元の山に登ってきました。
タイトルにある通り、要害山の名前は地元では通用しません。八幡山と呼ばれています。
ここも名前は要害山とものものしいが、里山なんですね。
どうってことなく登り降りできます。
もっと展望の効く山かと思っていましたが、そこは期待はずれでした。
物見・見張りの砦だった昔の状態なら展望も効くんでしょうが、今は昔、それはそれでしょうがないことです。

http://sherpaland.net/report/skgn_yohgai.htm

中国地蔵、28番、倉吉へ

中国地蔵ですが、倉吉市関金28番の地蔵院へ行ってきました。
温泉町の路地の奥の奥の寺です。
探し当てるのに苦労したよ。

http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/28/28-top.htm

その後は、地元の山に登ってきました。
要害山、地図にはそう書いてはあるが、地元民はそんな名前では呼んでいない。
編集はもうちょっとかかります。
もすこし待ってくださいね。

2008年6月22日 (日)

総理殉職

「総理殉職」杉田望 大和書房
サブタイトルに「四十日抗争で急逝した大平正芳」
三角大福、というフレーズを知っている年代はだいぶ少なくなりました。
三木、角栄、大平、福田、この四人です。
吉田茂以降の順番をたどると、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳
三角大福とは、総理就任の順番ではありません。
この中で、三木の場合だけ、椎名裁定で無選挙、ほかはいずれも激しい総裁選挙が実施されています。
大福は同盟を組み、共同で動くことが多かったが
福田と田中大平は肌合いが違い、対立関係にいます。
三木は田中大平と組めば不利になるので、思想肌合いが違っても福田と連合する方向を選択します。
一番極端だったのは、総選挙後の首班指名選挙で、同じ自民党から大平、福田、ふたりが首班指名に立候補するという前代未聞の事態が起きます。
時の総理は大平総理、首班指名選挙に大平は福田に負けてしまいます。
福田三木の思惑では、大平は退陣して政権を渡すだろうと見込んでいましたが
再び解散総選挙、衆参同時選挙に突入します。
選挙戦の最中、大平は心筋梗塞で亡くなってしまいます。
総理殉職です。
その後の歴代総理は
鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安部晋三、福田康夫
ひとそれぞれ、自分と同時代の総理はいるもんです。
あなたの場合はだれでしょう。

三角大福に匹敵する現在の政治家はいますかねぇ。
麻垣康三などのフレーズがあったが、三角大福の時代ほどには血みどろとは思えない。
遠慮の無い対立は、民主党のほうは目立っているのかもしれません。

2008年6月20日 (金)

平地の強者、手間要害山

強者はツワモノと読んでくださいね。
退休寺の次に手間要害山に登ってきました。
ツワモノの意味は、山が急だということではなくて、山に砦塞を設置して、武装の山だということなんです。
島根県鳥取県には、要害山というのがなんぼでもあります。
要害山も、これでふたつめになりました。
要害山コレクションを始めようかな。

http://sherpaland.net/report/tema_yohgai.htm

2008年6月19日 (木)

中国地蔵、27番、大山町へ

中国地蔵、27番、退休寺ですが、参拝してきました。
ここは案内が少なくて、探し難い寺です。

http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/27/27-top.htm

寺の帰途に、山に登るのが恒例ですが
どうもこの近所にはめぼしい山が見当たらない。
前回、境港・米子の時に登るのを予定していて、登らなかった山があります。
そこにしよう。手間要害山です。
それはなぁに?どんな山?
いま編集中です。ちょっと遅れ加減、明日のアップになるかな。

2008年6月17日 (火)

ザックの中のゼリーのお話

ザックの中で常備しているフルーツゼリーのお話しですが
今までは、「たらみ」のゼリーを買うことが多かったです。
ここんとこ「たらみ」の商品を見ることがありません。
たいてい、「ブルボン」か「マルハニチロ食品」のものが多いです。
それにしても、マルハとニチロが経営統合していたとは知らなかった。

なぜ「たらみ」の商品が消えたかというと

平成14年3月期には年商246億6000万円と過去最高の売上
一方で多額の設備投資と広告宣伝費、在庫負担軽減のための安値販売から収益力が低下
同期は15億5800万円の赤字に転落、13億4800万円の債務超過に陥った。
米国サン・キャピタル・パートナーズの日本法人と事業譲渡契約を締結し
平成19年4月26日には新会社への事業譲渡を完了

売り上げ最高の頃は、100円セールなどで必死に安売りし、売れば売るほど損を出していたのだそうです。
あのなつかしい安くて大きな「たらみ」のフルーツゼリーは、今はどこで売っているのか、さっぱり見ることがありません。

ザックの中のちっちゃなゼリーカップにもこのような大ドラマが繰り広げられていたのでした。

2008年6月16日 (月)

巡査物語

「巡査物語」徳留新一郎 東洋出版
目次の一部
巡査の一日はどのようにして始まるのか
巡査と巡査部長
交番の毎日
巡査はどうやって泥棒を捕まえるのか
制服警察官と私服警察官
巡査の立場から見た警察と一般市民との関係
残りは省略
警察小説のジャンルが確立して、警察官が主人公でも敬遠されることはなくなりました。
ただね、どれも捜査の鬼、あるいは悪とすれすれ、こういうストーリーが多くて、一般市民とはかなり離れています。
そのなかで、乃南アサの「ボクの町」「駆けこみ交番」など、交番勤務の若い巡査を主人公にしたものは、ほのぼのとして好きです。
著者は巡査の経験があるのか、ないのか、そこのところはどうなんでしょうね。
たとえ、経験がなくても、内部にいなければ解らない雰囲気・空気をよく伝えています。

2008年6月15日 (日)

小川谷から吉和冠山(冠山コレクション)

ずっと冠山を登っていました。
吉和冠山は長距離なので、時期をうかがっていました。
ショートコースで登ろう、とお誘いがありました。
ぜひともお願いします。
ええ山ですね。
こんなに短距離で登れるとは思いもしていなかった。
ま、これで、冠山コレクションは閉じようと思います。
というのも、近所近在の冠山は登ったが、日本全国、あちことにあって不思議じゃない山ですもの。
尖った山は冠山か烏帽子山です。
これ以上冠山コレクションを広げると、収拾がつかなくなるんで、これでおしまい、打ち切り宣言です。

http://sherpaland.net/report/ysw_kammuri.htm

2008年6月13日 (金)

中国地蔵、境港、米子へ

中国地蔵の参拝ですが、25番光祐寺(境港)26番光西寺(米子)に行ってきました。

http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/25/25-top.htm
http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/26/26-top.htm

普段でしたら、だいぶ前にアップしているはずなのに、今回は遅いでしょ。
カメラのメディアを認識できなかったんです。
メディアが悪いのか、PCのメディアスロットがおかしいのか、どうやっても写真の姿が出てきません。
ちゃんと写真を付けて新しいページをアップしてるじゃないの。
さんざん考えたんですよ。写真が無くてはページにならない。どげんかせんといかん。
確か、買ったときUSBケーブルが同梱されていたはずだ。これを使えばどんなもんだろう。
成功、ちゃんと写真が読めました。これでやっと使えるものになる。
今まで、時々、メディアの中身が読めないことがありました。
もっと早くUSBケーブルに気がつけばよかったのだ。

いつもなら、寺の次にはどこかの山に登っているはずなんですがね
今回はなし
忘れ物しましてね、あれを忘れた、あれだけなら登っても差し支えないのですが、これも忘れた。
これがなくては登ったところでどうにもならない。
何を忘れたの?
あんまり馬鹿馬鹿しいので、内緒にしときます。
すっかりやる気が挫かれて、山に登らずに帰ってきました。

2008年6月11日 (水)

尼子の本拠地、月山富田城

先日、京羅木山へ登ったんですがね。
京羅木山から月山は見下ろして見えるのだが、ほんとはどこの部分か判らなかったのです。
京羅木山を制した毛利は勝利した。
月山の尼子はどう敗れたか、この目で見たいものですよね。
行ってきました。
巨大な城で、財力豊かと推定しました。
あんな状態で負けるはずがない。それでも負けてしまったんですよね。
わけが判らないぞ。

http://sherpaland.net/report/gassan.htm

2008年6月10日 (火)

中国地蔵、24番、安来市へ

中国地蔵は24番の印珠寺に行ってきました。
この寺は案内標識が乏しいので、探し難い寺です。
いえね、前回、京羅木山に登ったので、合わせて月山も登らなきゃ気がすまない。
印珠寺と月山は近いのでちょうどええ。
その気になったら直ぐに行かなきゃね。

http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/24/24-top.htm

月山のほうはもうちょっと待って、これから編集にかかります。

2008年6月 8日 (日)

毛利の尼子への前線基地、京羅木山

東出雲町と安来市の境界の京羅木山へ登ってきました。
歴史上の事件として有名な山ですね。
毛利尼子戦争は長く続きましたが、毛利がこの京羅木山に陣を敷いたことで決着が着きました。
この山からは尼子の月山富田城が見下ろせるんですもの、尼子の敗戦です。
ハイキングの山としては、きわめて容易な山です。

http://sherpaland.net/report/kyoragi.htm

2008年6月 6日 (金)

中国地蔵、23番、松江市へ

中国地蔵ですが、松江まで行ってきました。23番、月照寺
藩主の菩提寺なんですが、一般の檀家がないからかしら、観光寺院で拝観料を求めています。
庫裏書院の様子を見るに、法要を行うためではなく、茶席を設けるようになっているのではないかと思えます。
寺の経営の中心が葬式法要とは限りません。
幼稚園が主になる寺もあるし、茶席で他と違うことを打ち出すのも寺院経営です。

http://sherpaland.net/chugoku-jizoh/23/23-top.htm

このあと、東出雲町の京羅木山へ登ってきました。
もうちょっと待ってね、明日にできるかどうか、明後日になるだろうと思います。

2008年6月 5日 (木)

そろそろ旅に

「そろそろ旅に」松井今朝子 講談社
弥次さん北さんのコンビについてはわりと知ってはいても、十返舎一九については知るところは少なかったなぁ。
正伝ではどうなのかは知りませんよ、どこからどこまでが松井今朝子の創作かはわからない。
十返舎一九はもともとは武士だった、ここから出発しております。
重田与七郎は駿河駿府の町奉行所の与力の息子だった。
新しい駿府町奉行のもとへ出仕したが、奉行所で使われるより、奉行の使い走りに使われるようになった。
奉行は町奉行を終え、新しい任地へ去っていった。
与七郎は先妻の子で、後妻の子の弟に家督を譲って家を出ることにした。
奉行の新しい任地の大阪東奉行所へ行き、奉行所の与力ではなく、奉行の家来として仕えることになった。
浄瑠璃に興味を持ったんですね。役目の付き合いで芝居小屋に出入りするようになり、浄瑠璃の愁嘆場とさび場を繋ぐちゃり場を仕立てて評判になりました。
さる材木屋のお嬢さんに気に入られました。
田沼の治世から白河候の執政に変わります。役目は面白くないことが続き、材木屋に婿入りすることを承知します。
若旦那はすることはなにもありません。浄瑠璃の台本を書くことを引き続きやることにします。
芝居小屋でのつきあいやもろもろで、遊郭びたりが続きます。
放蕩が過ぎて、よめさんからも材木屋の旦那からも愛想をつかされ、離縁されてしまいます。
浄瑠璃が出版されて本になっております。紹介状をもらって、版元を頼って江戸へ出て行きます。
版元の周辺には、山東京伝、滝沢馬琴、式亭三馬、歌川豊国、葛飾北斎などが出入りしております。
最初は山東京伝の亜流で始めました。
またまた婿入りのお話しが起き、質屋の娘のところへ婿養子に入ります。
題名の「そろそろ旅に」、定住するのがむずかしいひとなんですね。
結局は、ここでも婿の座を降りて、旅に出る。
これが東海道中膝栗毛のシリーズで大当たりしたわけです。

2008年6月 4日 (水)

LANが成功

無線LANを構築しようとしたのですがね
昨夜の段階では、片方のPCから向こうのPCは認識できるけど、反対からは認識できない、一方通行の状態でした。
これでは困るがな
リスク全部賭けるつもりで、あっちのPCでもこっちのPCでも、ウィルスソフトのファイアウォールを無効にして、インターネットに繋ぎました。
へぇ、この状態でやっと、両者お互いを認識しました。
無線ブロードバンドルーターだから、もともと汚染されるリスクは少なかったのだ。
昨夜はもっと強引に設定を進めればよかったのだねぇ。

2008年6月 1日 (日)

雨上がりの那岐山、二度目の那岐山

メーリングリスト、お山歩くらぶのメンバーと登ってきました。
雨が止むまで待って登り始めましたが、水蒸気の中で、頂上の展望は望みようもありませんでした。
記念写真を撮って、あとで見て驚きました。
シャツが汗で濡れて、ツートーンカラーのシャツを着ているみたい。
カッパは雨を防いでくれますが、なんぼゴアテックスでも、やっぱり汗はかくのだな、そういうことです。

http://sherpaland.net/report/nagisan2.htm

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