そろそろ旅に
「そろそろ旅に」松井今朝子 講談社
弥次さん北さんのコンビについてはわりと知ってはいても、十返舎一九については知るところは少なかったなぁ。
正伝ではどうなのかは知りませんよ、どこからどこまでが松井今朝子の創作かはわからない。
十返舎一九はもともとは武士だった、ここから出発しております。
重田与七郎は駿河駿府の町奉行所の与力の息子だった。
新しい駿府町奉行のもとへ出仕したが、奉行所で使われるより、奉行の使い走りに使われるようになった。
奉行は町奉行を終え、新しい任地へ去っていった。
与七郎は先妻の子で、後妻の子の弟に家督を譲って家を出ることにした。
奉行の新しい任地の大阪東奉行所へ行き、奉行所の与力ではなく、奉行の家来として仕えることになった。
浄瑠璃に興味を持ったんですね。役目の付き合いで芝居小屋に出入りするようになり、浄瑠璃の愁嘆場とさび場を繋ぐちゃり場を仕立てて評判になりました。
さる材木屋のお嬢さんに気に入られました。
田沼の治世から白河候の執政に変わります。役目は面白くないことが続き、材木屋に婿入りすることを承知します。
若旦那はすることはなにもありません。浄瑠璃の台本を書くことを引き続きやることにします。
芝居小屋でのつきあいやもろもろで、遊郭びたりが続きます。
放蕩が過ぎて、よめさんからも材木屋の旦那からも愛想をつかされ、離縁されてしまいます。
浄瑠璃が出版されて本になっております。紹介状をもらって、版元を頼って江戸へ出て行きます。
版元の周辺には、山東京伝、滝沢馬琴、式亭三馬、歌川豊国、葛飾北斎などが出入りしております。
最初は山東京伝の亜流で始めました。
またまた婿入りのお話しが起き、質屋の娘のところへ婿養子に入ります。
題名の「そろそろ旅に」、定住するのがむずかしいひとなんですね。
結局は、ここでも婿の座を降りて、旅に出る。
これが東海道中膝栗毛のシリーズで大当たりしたわけです。
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