三原の展望台、葉田竜王山、筆影山
観光の山だろうなと敬遠していました。
近くの山を登っているうち、どうしても竜王山、筆影山は眼に入ってきます。
これは登らなきゃなぁ、登ってみました。
葉田竜王山への登山路はなかなか面白いものがあります。
頂上まで登ってしまえば、あとは舗装路を歩かなきゃなりません。
それでも、海を見ながら歩くのは、のんびりと癒されるもんです。
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観光の山だろうなと敬遠していました。
近くの山を登っているうち、どうしても竜王山、筆影山は眼に入ってきます。
これは登らなきゃなぁ、登ってみました。
葉田竜王山への登山路はなかなか面白いものがあります。
頂上まで登ってしまえば、あとは舗装路を歩かなきゃなりません。
それでも、海を見ながら歩くのは、のんびりと癒されるもんです。
記者会見でのコメントで
その件につきましては、さしひかえさせていただきます。
ん、さし○○○○
さしひかえる
さしつかえる
さしあたり
さしおく
さしのぞく
さしだす
ふぅむ、接頭語なのか
意味を強調するというか、調子を整えるというか、そんな役目のようですね
意味を強調しても、低姿勢で控え目な位置取りで、自己主張しながらも謙譲を示している、かなり複雑な言葉の用法ですね。
今日、軽トラのほうは冬のタイヤから通常タイヤに履き代えましましたが
乗用車のほうは冬タイヤのまま夏を乗り切ります
新しい通常タイヤは買わないことにします
来年の3月に車検を迎えます
もう何回も車検を潜った車なので、次の車検は費用がかかるのが予想されます
別の車に替える予定なので、タイヤを新しくするつもりははない
冬タイヤを履き潰すつもりでいます
「風は山河より」宮城野昌光 新潮社
全部で5巻にも及ぶ長編小説です。
武田信玄が京へ長征する軍を、1ヶ月にも渡って4百人の手勢で城に篭もって食い止めた
その人物は、菅沼新八郎定盈
彼の業績を述べるまでに、千代、先々代の歴史から述べております。
当然、三河の徳川家の勃興が語られるわけで、家康の先代、先々代から説き起こしております。
あまりに長編で、3巻の巻末あたりで、桶狭間の合戦、今川義元が首を取られて、家康は今川から独立するわけです。
当時の名乗りは、松平次郎三郎元康、家康と名前を変え、徳川と家名を変えていくわけです。
地名、地の名前などは一つ一つ覚えられるわけもなく、読み流したまま、ページをめくっていきます。
5巻で武田信玄が遠征に出て、やっと馴染みの史実に出会えます。
ほとんど、郷土史からのお話しを読んでいるようなもので、かなり地味な作品です。
著者は、中国の作品から世に出ただけに、難しい漢語・難文字を駆使しています。
フリガナがあるから読めるのですよ。
WBC、何回韓国と当たればええのでしょうね。
繰り返し繰り返し韓国と対戦する
もう、飽き飽きしました。
ほかのチームと対戦するゲームが見たい。
比婆山の立烏帽子駐車場へ登る道があります。
今日は、そこでふきのとうを摘んできました。
雪が融けた地肌から、ふきのとうが芽吹いています。
たんぼの畦道とちがって、融雪ぎりぎりなのでモノが違います。
そこは国定公園のなか?
外だろうと信じて採ったんですがね。
スサノオとヤマトタケルを混同していました。
出雲のひとびとがスサノオに親近感を抱くのを不思議に思っていました。
征服者になぜ親しみを持つのだろう?
ヤマトタケルが遠征して、出雲にも遠征したのだと思い込んでいました。
時代が違うのでした。
スサノオの時代はアマテラスなどと同時代の神の時代
ヤマトタケルの時代はヤマト王朝が始まったヒトの時代
全然、時代が違います。
スサノオは高天原から追放されて、出雲の開拓に働いたのでした。
そりゃぁ、出雲のひとびとに親しまれるわけです。
征服者スサノオを愛するとは訳が判らない、と非難しました。
事実を誤認して、難癖をつけていました。
気がついた時点で、出雲のひとびとに失礼をわび、先月の難癖をつけたページで、ただ単に、そのまま抹消したのでは証拠隠滅、打ち消し線で取り消して、間違いは間違いのまま残すことにしました。
3週間前、大出日山に登ってきました。
天狗山と大出日山は同じ山列の山です。
両方の山を歩いてきました。
出雲の開拓はこの地から始まったのだそうです。
歴史的、地理的な水の一滴はここから始まる、そんなポイントがありました。
ソマリアでの海賊対策として海上警備行動に「さざなみ」「さみだれ」が派遣されます。
「さざなみ」「さみだれ」
護衛艦なんだそうだが、もうちょっと強そうな名前を付けてほしかった。
英語で言うと、デストロイヤー、プロレスラーから名前を覚えたので、壊し屋、殺し屋、そんな意味合いで覚えていました。
で、自衛隊だから護衛艦と言うが、デストロイヤー、英語の国のデストロイヤーとは駆逐艦です。
安芸と備後の国境についてですが
現在の市町村の境界と少ぅしずれております。
概括的には、沼田川の河口から大峰山、天神嶽、大土山、可愛川、江の川、これを結んだ線です。
三原市では、三原市街地が西の山で閉ざされるあたり、頼兼トンネルのあたりから大峰山へ、久井町大和町の境界に関わりなく天神嶽へ
その天神嶽は東広島市福富町の内側へ取り込まれております
大土山からは、三次市安芸高田市の境界に沿って可愛川へ
三次市の粟屋町部分は安芸を取り込んでおります
あとは江の川沿いに境界は画定しております
いまさら、なんで?
なんで安芸と備後の国境なんぞに興味を持つの?
それはね
しぇるぱの内部検索で、中国地方を、岡山鳥取備後、安芸島根山口、このように分割して表示しているから
安芸と備後の国境近くの山に登ると、本来なら、この山は安芸か備後かどっちなんだろう、と確認したくなるんですよ。
とりわけ、三原市は安芸部分を大きく取り込んでいるので注意が必要です。
前々から気になっていた三原の大峰山、龍王山に行って来ました。
大峰山の階段はどうってことはありませんが
龍王山の階段は評判どおり大変なものです。
夜、二階への階段がけっこう堪えました。
一晩寝たら回復はしました。
「弥勒の月」あさのあつこ 光文社
バッテリーのあさのあつこです。
バッテリーは気に入って全部読みましたが
このお話しは時代劇、八丁堀の捕り物帳です。
八丁堀同心の小暮信次郎と岡っ引き伊佐治は、同心が切れすぎるので、手下としては心が通い難い。
小間物屋の若いおかみさんが川に身投げして死んでしまいます。
身投げを見た履物屋の主人、橋のたもとでそばの屋台を開いていた主も殺されてしまいます。
小間物屋の若主人は婿養子で、なにやら過去があると同心は睨みます。
下手人は思わぬ筋道で現れますが、若主人の過去に縁があって、それが動機となっております。
児童小説の世界ならおなじみですが、時代劇でデビューするとは思わなかった。
あさのあつこ、これからの主戦場を変えるのでしょうか。
厚生労働省:日本人の平均余命 平成16年簡易生命表
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life05/01.html
厚生労働省の統計で、各年齢ごとにあと何年生きられるかを推計する表
0歳での平均余命のことは特に平均寿命といい
男 78.64歳 女 85.59歳
年齢を重ねるたびにリスクは軽減され
50歳
男 30.70歳 女 36.90歳
60歳
男 22.17歳 女 27.74歳
70歳
男 14.51歳 女 18.98歳
80歳
男 8.39歳 女 11.23歳
90歳
男 4.36歳 女 5.69歳
100歳
男 2.41歳 女 2.96歳
平均寿命を越えた80歳の男、あなた、あと8.39歳生き続けることができます。
健康寿命と言う概念があって、日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと。
WHOが2000年にこの言葉を公表した。平均寿命から介護(自立した生活ができない)を引いた数が健康寿命になる。
男性の平均寿命 78.6歳
健康寿命 72.3歳
平均6.3年は寝たきり
女性の平均寿命 85.6歳
健康寿命 77.7歳
平均7.9年は寝たきり
「長生き競争!」を読んで、こんなことを思い巡らしました。
「長生き競争!」星野伸一 小学館
住んでいた家が古くなったので、中古物件を買って引っ越してきた。
少年時代、父親の転勤で転々と引っ越したが、そこは小学校5年のころに住んでいたところだった。
コンビニでたまたま同級生にであった。
クラス会、毎年、数人で集まっているのだそうな。
クラス会においでよ。今年も近々あるからさ。
話しの流れで、だれが一番長生きするか、賭け金を集めて、最後まで生き残ったものが総取りすることにする、そんなことになった。
一口を440円、二口は4400円、三口は44000円、四口は44万円、五口は4百4十万円、六口は4千4百万円
一口上がるたび、金の単位が一桁繰り上がるのだ。
賛同者は6人、4人が4百4十万円、一人が4千4百万円、一人は貧しいので4万4千円。
小学校の同級生も70歳を越えると、ヒストリーさまざま、懐事情も様々、健康事情、これは似たり寄ったり、というところか。
ちょっと脇道の展開があって、二十歳の若い女の子が主人公に家にかくまわれることになる。
その子は、HIVに感染していて、長くは生きられないという診断なのだそうだ。
わたしも混ぜてください。賭け金は、4400円。
次々と死んでいく、若い女の子も死んでいく。
最後、二人が残って、主人公も肺癌で死んでいくことになる。
最後は、同級生で今はおばあちゃんが金を受け取ることになる。
年寄り、それぞれが死んでいく経過があるんですよ。
ひとが死ぬことについて、ひとりひとりを解剖しながら回顧しながら記録していくには、こんな方法もええもんですね。
ところで
わたしも50年ぶりの小学校のクラス会に出たことがあります。
このお話のようにすぐ溶け込める、そんなもんじゃなかったぞ。
同じクラスなのに、同時代を生きたとは思えない、経験がそれぞれ違うので、語り難いのなんの。
数年後の二度目のクラス会は出席を断りました。
気を使いながら、探り探り会話の糸口を掘り出して、なるべく無難な会話に終始する、そんな会合にはもう出たくない。
先日、安駄山に登りました。
安駄山から長い稜線が高鉢山まで伸びているのを見ました。
登りたいねぇ。
距離は長いし、戻りが大変だ。
そうだ、自転車を使おう。
出発地の湯坂峠まで登りの道になってしまった。
えいえいと漕いで登ったが、コース選択はミスでしたねぇ。
自転車は逆にしなければいけないところだった。
カシミールで、コース断面図を出したとき、山の名前が表現されていないケースはありませんか。
ちゃんと山頂を踏んだのに、山の名前が出て来ない。
荒業
三角マークの山をずるずる引っ張って、コースの中に引き込んでしまいましょう。
コース断面図に、山の名前が出るまで、繰り返しやってみます。
カシミールソフトを閉じるとき、**DBは変更されています、変更を更新しますか、こう聞いてきます。
ここは、いいえ、と答えて、山名データベースには触らないでおきます。
ソフトも不機嫌な場合があるようです。
さっきはちゃんと山名が出たのに、もう一度やってみると出て来ない。
むりやり、従わせるには、こうするのが一番です。
<以上、学習発表>
安駄山は芸備線沿線の道から登るのが普通です。
線路から山麓までの道は狭くて嫌いです。
反対側の志和から登ろう。
登ってみました。ちゃんと道はありました。
半分は林道歩きですが、開放的な展望で、文句なしです。
稜線は、広島市と東広島市の境界の切り開きを行くので、間違えようもありません。
帰りは、ショートカットのルートを使いましたが、山の感覚のあるひとなら間違えようもないコースです。
このコースはネットの記事としては始めてです。
ネット検索で、このコースが世に知れるとええなぁ。
ネット発信と無関係のひとが先に大勢歩いているからじゃないか、その通りです、踏み跡をたどったわけです。
それはよぅく承知しております。
板鍋山と聞くと、なんだ、ドライブウェイが頂上まであって、ほとんど歩かずに登れる山じゃないか。
ほとんどのひとが登山の対象に考えることはないでしょう。
南から登ってみると、あんがいなミモノがありました。
大山大権現というのがあって、大きな岩を拝むもののようです。
自然崇拝、原始宗教のような感覚で、なかなか面白いと感じました。
頂上からの展望は360度全部効いています。
前に登ったときと比べて、登った山がだいぶ増えて、あれはなに山と指差せるのがうれしいです。
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