毛利は残った
「毛利は残った」近衛龍春 毎日新聞社
第1章呑気な二代目
第2章なに!わし儂が総大将?
第3章空弁当のつけ
第4章六ヶ国減封命令
第5章家臣の扶持は五分の一に
第6章領土が増えぬ戦
第7章長く生きた方が勝ち
第8章重臣誅伐
第9章検地の挑戦
第十章敗将の勝利
終章 和解
成り行きで関が原の戦で、西軍の総大将に担がれ、まんざらでもない気分でいたところ
みごとに西軍は負けてしまった。
もともと中国の大々名120万5千石の領土だったのが、周防長門の27万8480石に磨り減ってしまった。
次々と幕府の普請手伝いの命令が出て、借金に借金で、どうにもならないところまで行き詰ってしまった。
再検地して、石高を捻出しなければならない。
強行して、53万9200石で再評価して幕府に届け出る。
大名間の釣り合いもあるので、36万9411石と定まることになる。
そこに至るまでには、重臣を切腹させ、一揆をおしつぶし、並大抵のことではなかった。
関が原までは馬鹿殿様、石高が減ってからは、じっと我慢の賢い殿様
馬鹿殿様の印象しかなかったが、大阪冬の陣夏の陣までに盛り返した、そんな経過があるとは始めて知りました。
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