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2010年2月16日 (火)

小説伝記上杉鷹山

「小説伝記上杉鷹山」八幡和郎 PHP
上杉鷹山とは、話には聞くが業績はどんなものか知らない人物でした。
著者は、日経新聞の「私の履歴書」のスタイルにしたがって、鷹山が自分で著述した体裁で書いたものです。
上杉家は、上杉謙信から伝わる家系ですが、子孫に恵まれず、養子に養子を継いで、家系を維持してきた家柄です。
謙信の次の景勝(すでに景勝が養子です)から数えて四代目に、吉良家から迎えた養子が藩主になっております。
吉良家とは、赤穂浪士が討ち入った、あの吉良家です。
九州宮崎高鍋藩の秋月家から養子に入った治憲が九代目、隠居後の名乗りは上杉鷹山のことです。

九代目治憲が17歳で家を継いだ頃は徳川家重将軍で田沼時代のはじまりの頃です。
藩は貧しく、家士から扶持米借り上げを行っており、本来の半分以下の支給になっております。
上杉鷹山が亡くなるころには、藩の借財を完済し、逆に蓄積ができるほどまで変身しております。
それはどのような手法で?
読んでも訳が判らない、倹約を重ね、新田を開発し、産物を専売にしたり、自由販売にしたり、手を尽くしてがんばった、としかわからない。
こういう状態は、読んでいても面白くない。
何をしたので上杉鷹山は名君となったのか、決め手がみつからないまま読み終えました。

戦国の旗頭の上杉家も、末は15万石程度の大名で、東証2部上場の冴えない企業と似たようなもんでしょう。
常に赤字で欠損にあえいでいた企業を黒字体質に変更した、こういうことなんでしょうね。

ヒントを得るものはありませんので、この本は読む必要はありません。

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