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2010年6月15日 (火)

信長の棺

「信長の棺」加藤廣 日本経済新聞社
加藤廣の出世作はこの「信長の棺」ですが
わたしが加藤廣に接したのは「空白の桶狭間」です。
秀吉の出自については、同じ着想で書いてあります。
最初、「信長の棺」とは本能寺の戦いで信長が生き残ってどこかにいたのだ、そういうお話だろうかと思っていました。
そうではなかった。
太田牛一が信長に仕えて、信長公記を書いた、その記録が棺を意味するのです。
秀吉が牛一を使って「大こうさまくんき」を書かせる、さらに信長公記を書かせるには、信長を貶めて秀吉を引き上げる、その狙いがあったわけです。
お話しの大部分は信長公記が世に出るまでの経緯です。
後半、最終部分は、本能寺で信長の遺体が見つからなかった、それはどうしてか、という探索の経過です。
そこはここでは言わないほうがええでしょう。

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