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2010年12月 3日 (金)

「お笑い」日本語革命

「「お笑い」日本語革命」松本修 新潮社
前作「全国アホ・バカ分布考」に続く言葉に集中した本です。
序章 千と千尋の「どんくさい」
第1話 「マジ」の拡散とルーツ
第1章 「マジ」の世間への流出
第2章 「マジ」の最初の波
第3章 鶴光さんと会って
第2話 笑いの装置「みたいな。」の誕生
第1章 楽しい会話のルーツ
第2章 ある放送作家の「みたいな。」
第3章 笑いの起爆装置としての「みたいな。」
第4章 「みたいな(笑)。」の系譜
第5章 現代日本人の「みたいな。」
第3話 「キレる」宰相と若者たち
第1章 「キレる」の本当の意味
第2章 「キレる」の母体
第3章 「キレる」の誕生
第4章 「キレる」を広めた人
第4話 「おかん」の陽はまた昇る
第1章 トレンド語としての「おかん」
第2章 大阪の歴史の中の「おかん」
第3章 上方漫才の中の「おかん」
第4章 「おじん・おばん」の伝播と意味の変容
第5章 男たちの中の「おかん」
まえがきとあとがきがある、堂々とした日本語の本です。
「マジ」「みたいな。」「キレる」「おかん」、それぞれの言葉が放送からの伝播で広がる具合を探る考察です。
放送以前の、戦前昭和の寄席の楽屋、江戸時代の出版物、小説・対談のなかの片言隻語を探ったり、これは労作です。
なかでも、「みたいな。」これは単なる曖昧表現だと思っていました。
そうではなく、笑いを引き起こす引き金としての要素がある、ふぅむ、そういう効果があるとは思わなかったぞ。
「おかん」につながる「おじん・おばん」、「おじいさん・おばあさん」の省略形と思う層と、「おじさん・おばさん」の省略形と思う層と、ふたつの流れがある、という指摘。
へぇぇ、日本語とは一筋縄ではいかないもんだねぇ。

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