比婆山古道を行く
一部、抜粋します。
こんな内容です。
次の谷の頭が最後で、古い道標が見えている。道標には太鼓岩と記してある。写真を拡大したから読めるので、肉眼ではとうてい読み取れません。
太鼓岩とあるが、三角のおむすび様で、これを太鼓と見立てるかね。どう見ても太鼓には見えないよ。太鼓岩の前には祠が鎮座してある。
太鼓岩とは言葉が遷移したのではなかろうか、もともとは、太古岩とと言ったと言い換えたらどうだろう。
太古からある岩で、何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる、要するに、 なんかええな、感じるものがあるね、そういう岩なんじゃなかろうか。
この先に、産子の岩戸があるのだそうな。
全景がこの姿、接近すると、うへぇ、これはまさしく産子の岩戸だ。おまんちゃんそっくりじゃないか。
イザナミ、イザナギの愛と憎しみの神話はこの岩からストーリーが膨らんだのだろうね。
あなにやし(あらすてき)、えをとこ(ええ男)を、あなにやし(べっぴんさん)、えをとめ(ええ乙女)を、そこで、みとのまぐはひに誘われるわけです。
国産みの神話を思い出してちょうだい、ここからぼろぼろと、国土が、神々が生まれてくるんですよ。
神話のストーリーがあったから産子の岩戸をここの指定した。そうではないでしょう。岩がそっくり過ぎているから、連想が湧いて、次々と神話のストーリーを紡ぎ出してきたんでしょう。
引き返して、比婆山のメインコースの上に出た。ここは比婆山御陵から一段下がった境内の庭地のようなところだね。
進むと、鎖で閉ざされている御陵の聖地がこの中にある。イザナミをこの地比婆山に埋葬した、そういう神話伝説があるんですよ。
御陵というと皇室の関連なのかい?それどころか、皇室誕生以前の神話伝説の時代なのだよ。高天原から国土創生プロジェクトチームが派遣されたと考えてちょうだい。
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