尼子武将の城跡、高瀬山2
ちょっとした広場に登ってきた。出雲大社の方向が開けていて、出雲ドームから山裾に目を移すと出雲大社があるのだ。
何段かの段差を経て、ここが頂上広場、高瀬城甲の丸なんですよ。
甲の丸とは、織田・豊臣軍勢では本丸のことで、毛利、尼子勢では本丸とは言わず、甲の丸と称したのだ。
詰の丸という異字もあり、要するに、城の最奥地、最高地ということなんですね。
なんで甲の意味が詰と同じなのか、全然解らない。ウィキペディアにも出ていない。
出でよ、地元の小説家。甲の丸とはこういうことだよ、とストーリーの中で蒙を開いてくれんかね。
頂上からは宍道湖が見えている。島根半島の山脈が見えている。
下を見ると、ため池が見えていて、あそこから登ってきたんだよね。
保育園の子どもたちが登ってきた。
聞いてみると、5歳児、4歳児、3歳児、2歳児までも、よぅここまで登って来たな。取り巻かれて、懐かれてしまった。
さあ、降りよう。あの園児たち、登りは楽々登れても、下りは難儀するだろうね。幼児は頭が重いのだよ。すぐに転ぶ。下りで転んだら痛いじゃすまないものね。
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