広島北JCTの正面、牛頭山2
さっきから下が騒々しかったが、とうとう追いつかれてしまった。中学校の遠足なんですよ。
先行グループが追い抜いた。続いて、どんどん勢力が増えて追い抜いて行く。さすがに中学生は元気がええな。
急な岩肌の坂があって、もひとつ急な岩の坂があって、ここを登れば、もうこれ以上抵抗する坂はない。
ここに城があったということなんですよ。この岩屑の坂が防御の砦で、幾つかの郭があった、のだそうだ。
疑問その一、水・井戸はちゃんとあったのだろうか。汲み置きはちゃんとあったのだろうか。水場を占領されると、城は明け渡すしかない。
疑問その二、食料などを運び上げるのは並大抵じゃなかったろう。補給の限界があるから、大部隊を収容できるはずがないじゃないか。
そこで推論、のろしなどの連絡拠点だったんじゃなかろうか。パトロール拠点で、少人数で短時間だけ確保できればそれでええ、そんな砦だったのではなかろうか。
最後に頂上手前に顎がある。この顎を乗り越えて、さて、頂上なのだ。頂上は平削されていて、これだけの土木工事を施すなら城があったのだろうとの傍証でもあるよね。
中学生がいっぱい溢れている。落合中学校のジャージを着ている。聞いてみると、安佐北区高陽から来ているのだそうな。
麓の中学校かと思っていた。へぇ、それはそれは、遠いところから遠足に来たもんだ。
帰ってから、安佐北区落合中学校で検索してみた。中学校のHPを見ると、昨日から野外活動センターに泊まって、3日間過ごすのだそうな。
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これはそのページの一部を抜書きしたものです。
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