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「風のマジム」原田マハ 講談社
2週間前、素晴らしい作家を発見しました。
「旅屋おかえり」の原田マハです。
伊波まじむは派遣社員だが、社内の新規事業提案に応募した。
そうそう、まじむとは沖縄言葉では真心の意味です。
沖縄でラム酒を造る。
沖縄のさとうきびで、南大東島で造る。
酒造家(杜氏)には泡盛で有名な地元の酒造家を招いた。
かなりとんとん拍子のお話しなんですよ。
とんとん拍子で何が悪い。
挫折に次ぐ挫折のお話しなど誰も読みたいことはないさ。
無事、ラム酒の出荷が始まる。
万事、めでたし、めでたし。
ところどころ足をすくわれる場面もあるんですよ。
これは絶対ハッピーエンドで終わる、そう思えるから読み続けるのですよ。
いやぁ、ええ話しだなぁ。
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「この(くぬ)弱虫が(よーばーや)。どれ(どー)、私が開けてやる(わーぐわあげてい)」
「まったくお前は(やーや)、子供の(わらばーぬ)ときから変わらないね(かわらぬーらん)。いざってときに弱気でどうする(ちゃーすが)」
「なんでもない(なんくるない)。あんたは黙っとれ(うんじゅやだまらさんけー)」
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標準語に沖縄言葉でルビが振ってあるんですよ。
バイリンガルで読んで行くのだが、怒涛の展開になると、バイリンガルで読むのはしんどい。
標準語だけで読んでいるよなぁ。
https://maps.google.co.jp/
グーグルマップで仕様変更があって、面喰いました。
マイプレイス→地図を作製
ここのところで、[CVCファイル/スプレッドシートからインポートします]
こんな方法ではなかった。CVCファイルなど作ってないぞ。
昨夜は12時から2時半までああでもない、こうでもない。
これはいかん、HPの補強材料に使うのは諦めなきゃならんか。
翌朝になって、地図を作製の下に、[以前のマイマップを使用して作成]
こんな文言を発見、小さな字だもの、血走った眼では発見できないわい。
ここからは簡単、インポート、KLMをインポート
やっとどうにかモノに出来ました。
無料のソフトを使わせてもらってるんだものなぁ。
有料なら苦情の申し立てもあるが、無料だから文句のつけようがない。
これからも不意打ちの仕様変更はあることだろうなぁ。
今年の7月、自転車で比婆山の周囲を一周したんですよ。
比婆山の北側、奥出雲町の小峠で牛曳山への看板を見た。大きな看板で、古そうな感じがしないので、これならたぶん行けるだろう。
検索で探してみると、小峠からの記事が唯一ヒットしました。
「比婆の山々を行く(比婆山登山道ガイド)」がブログ名でブログ主は不明、名前を名乗っていないのでどこのどなたか判りません。
その中の、三井野原(小峠)から蛇の目山を経て牛曳山へ その1「蛇の目山への2ルート紹介」
今年の6月10日の記事なので状況は今もほぼ同じだろう。5年前の記事ならだいぶ様子が変わっているからね。
それを頼りに記事の地図だけプリントして持って行く。
庄原から西城を抜け、島根県境を越えて、三井野原に入る。ここで左折、三井野原スキー場が見えたらすぐに曲がる。踏切を越えてスキー場の前を通り抜ける。
この道は、小峠大峠への林道なんですよ。林道と看板はあるが、実態は生活道路だね。
小峠の手前で牛曳山の看板を見る。ここは道がちょっと膨らんでいるから、そこに止める。
自動車が入れそうな道ではあるんですよ。軽トラなどの乱暴に扱ってもええ車ならOKだが、ちょっとええ車なら、乗り入れは避けたほうが賢明でしょうね。
どんどん林道を歩いて、谷の頭で反転して降りて行く。谷の頭がY字になっているのだ。Yの右の谷を詰めて、反転して、左の谷に向かうのだ。
ここで林道は終点になっている。
さて、歩きだなぁ。道は広々としていて、こんなに余裕を持って歩けるのはなかなかあることではないよ。
編集が終わりました。新しいページをアップしております。
これは、始めの出だしの部分、続けて読んでみてください。
日本の宇宙ロケットの命名順序はけっこう適当なんですね。
始めの頃は順序・法則性があった。
今度は突然順番が乱れた。
最初は糸川博士のカッパー
L(ラムダ)-4Sロケット、70年の日本初の人工衛星「おおすみ」
M(ミュー)-3SIIロケット、85年の「さきがけ」「すいせい」
今度のE イプシロン
A α アルファー
Β β ベータ
Γ γ ガンマ
Δ δ デルタ
Ε ε イプシロン ←
Ζ ζ ツェータ
Η η イータ
Θ θ シグマ
Ι ι イオタ
Κ κ カッパ ←
Λ λ ラムダ ←
Μ μ ミュウ ←
Ν ν ニュウ
Ξ ξ グザイ
Ο ο オミクロン
Π π パイ
Ρ ρ ロー
Σ σ シグマ
Τ τ タウ
Υ υ ウプシロン
Φ φ ファイ
Χ χ カイ
Ψ ψ プサイ
Ω ω オメガ
スピーカーの BOSE はなぜボーズと呼ぶのか
それはね
創業者のアマー・G・ボーズ Amar Gopal Bose
彼がインド系なので、BOSE をボーズと読ませたんだそうです
ほら
スバス・チャンドラ・ボース Subhas Chandra Bose
がいたでしょう、インドの独立運動家
インド在住のインド人はボースと名乗り
インド系のアメリカ人はボーズと名乗る傾向があるそうです
BOSE をスペイン系の姓だすると、ボセ (参照:カルメンの恋人がホセ)
von Bose をドイツ系の姓で読むと、フォン・ボーゼ
ここから類推すると、フランス系、イギリス系も、ボセ、ボーゼと読むだろう
ということで
スピーカーの BOSE は、若い頃、長いこと、ボーセかボースかあやふやでした
ボーズと判ったのは、耳学問からです
こういうことがあって、読みにくかったのだと、今振り返ると理解できます
最近のネット発信は、ブログであり、SNSであり、そっちが多数です。
昔ながらのホームページ(ホームページ作成ソフトで作るホームページ)の新規参入は見ませんねぇ。
昔ながらのホームページでの技術・ソフト面での悩みがブログ派SNS派と噛み合わない。
ブログの住民、SNSの住民に悩みを訴えても伝わらないのです。
昔ながらのホームページはガラパゴス化して、閉塞の方向に向かっているような気がしてしょうがないのですよ。
いわゆるホームページがビジネス目的に傾斜しているせいなんでしょうかね。
昔ながらのホームページは、企業の担当者、HP代行の作成業者、語り合うのはそんなひとしかいない。
ところがね、当然、プロはアマチュアを相手にしません。
悩んだり、疑問があったら、検索で探し出すしか方法がない。
それでも、検索すればなんとかなるもんです。
プロはアマチュアを相手しないと言っても、自慢したい、ひけらかしたい、どっかこっかに糸口は落ちているもんです。
ブログやSNSがまだ誕生していなかった時代には(10年前のことですよ)ホームページを開いて発信するしか方法がなかった。
ブログが誕生し、SNSが一般的になって、一挙にネットの敷居が下がったのです。
正直な感想を許してもらえるなら、ホームページ開いた当初からちっとも進歩していないひとが多いよねぇ。
手法は誕生時の繰り返しばっかりで、目先を変えてみよう、冒険をしてみよう、の気概はないのですかねぇ。
文章の表現がつたないのは、センスの問題です。それを問うているのじゃない。
行間を広げてみようとか、一部を桝目で囲ってみようとか(これはcssの知識が必要です)
友達リンクで途切れているのを修正しようとか(技術の問題ではない、手間の問題)
いろいろあるでしょう。
「銀行支店長、走る」江上剛 実業之日本社
この10年、銀行小説から離れていたんですよ。
悪い方はむちゃくちゃ悪くて読んでいて腹が立って読み続けられないから。
半沢直樹ブームで、久しぶりに銀行の小説を手に取ってみました。
始めて支店長に就任して、前任の支店長は退職したとか、長期の出張に行っているとか。
支店の雰囲気は極めて悪い。
最大の取引先の融資焦げ付きを解決しようとして、反対にあい、非協力を示される。
ここからは一気の勧善懲悪のお話しです。
どだい、変なお話しなんですよ。部下は逆らう。本部の検査部は邪魔をする。
なにか伏魔殿が潜んでいると思うのが当たり前でしょ。
それを、この新任の支店長、一切を表に出してしまった。
どんなふうに表に出したか。そこがこのストーリーの勘どころでしょ。
そこには触れません。
「本日は、お日柄もよく」原田マハ 徳間書店
先日に読んだ「旅屋おかえり」で原田マハにすっかりはまってしまいました。
出だしは、結婚披露宴で素晴らしいスピーチを聞いて、弟子入りしてしまいます。
師匠はスピーチライター、結婚式から国会のスピーチまでこなしてしまいます。
弟子入りして、選挙のスピーチの原稿を書いたり、会社をやめて、そっちを専業にしてしまいます。
2008年から2010年の連載で、あの当時は民主党が希望の星でした。
今や、希望の星は流れ星になり果てておりますがね。
結婚式から国会委員会、選挙の演説など、スピーチの数は10本を越えています。
それぞれ、絶妙のスピーチで、著者は場を心得ていて、受けもしっかり狙って、ええスピーチです。
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プラグインエラー
[このページに含まれたプラグイン内でエラーが起きました]
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わたしのページのトップ、index のページなんですが
ページ原稿を書いて、確認のためにブラウザのプレビューをかけます
そのプレビューの画面に、上のような表示が出ます。
トップのページではFlashを使用しています。
警告を受けるなら、その関連しか考えられません。
わたしの環境は
Adobe Flash Player(Active X) インストールあり
Adobe Flash Player(Plug-in) インストールなし
Adobe Flash Player対応のWebページを見る際に
Internet Explorer(IE)のブラウザを使用する場合に必要になるのはAdobe Flash Player(Active X)
FirefoxなどのIE以外のブラウザを使用する場合に必要になるのはAdobe Flash Player(Plug-in)
IEのブラウザでプラグインの有無を問われるのは納得いきませんが
無視してもええと判断して、受け流すことにしました。
事実、原稿をFTP転送して、ページを公開して、ブラウザで読んでみると、問題はないようにみえます。
前回の書き換えの時にはこんな警告は出なかった。
今回警告が出たのは、なにかわたしの環境が変わったのか、そこが不思議です。
先日比婆山の山麓を一周しました。比婆山をやるなら道後山も山麓を一周しなきゃならんだろう。
いつやるの?今でしょ。今日行くことにしました。
駐車する場所は猫山スキー場の駐車場にしよう。
次の集落の岩祖で道を曲がって、誰かいる、道を聞いてみよう。この道は鳥取県に行きますか。
この先で道は塞がっとるよね。川下へ行きんさい。新しい道があって、トンネルがあるけぇ。うちゃぁ、まだあの道は通っとらんのじゃがね、アハハハハハ。
ありがとう、すみませぇん。
曲がるポイントを急ぎ過ぎた。県道をどんどん下って行けばええんじゃね。合流する谷の上流が窓が開いたように切り開けになっているじゃないか。
川があって、川の名前が成羽川、倉敷の高梁川に合流するあの成羽川なのかい。源流地帯なんだねぇ。
橋の名前が永金橋、橋を渡ってすぐ左折するのだよ。市道持丸線、広域農道も兼ねているのだそうな。
この川の右岸が西城町、左岸が東城町、東城小奴可の区域に入ってきたのだよ。
川の名前が持丸川に変わる。集落の名前が持丸だからなのだよ。市道持丸線はそこから名前を持ってきたのだよ。
持丸川の上流はぽっかりと切り開いたように稜線が沈んでいる。これなら簡単に峠越えできそうな気がする。
編集が終わりました。新しいページをアップしています。
これは出だし、最初の部分、さらのお話しが展開します。
http://sherpaland.net/bike/2013/bike-130819-dogo_ym_isshu/bike-130819-dogo_ym_isshu.html
「旅屋、おかえり」原田マハ 集英社
本名、岡林恵理子、芸名、丘えりか、略して、おかえり。
スポンサーをしくじって、たった一本しかないテレビ番組がなくなってしまいました。
これからどうしよう。
成り行きで、あなたの身代わりで旅に出てきます。こんな仕事がはじまります。
だから、旅屋なんです。
最初の仕事は、生け花の家元の娘さん、難病の筋萎縮症にかかっていて動けない。
身代わりで、秋田角館の枝垂桜を見てくること。
意外な展開で、万々歳の好結果となります。
これが半分。
後の半分まで語るわけにいかない。そこは読んでもらわなくちゃ。
言っときます、出てくるのはええひとばっかり、悪人は一人も出ません。
まったくストレスなしで読み進んで行けます。
市の施設で旗を見上げると、半旗になっています。
あれ、ひょっとして、と思って、県立高校の旗をみると
そこも半旗になっています。
長いこと生きてきたが、終戦記念日に半旗を掲げるのは知りませんでした。
ずっと気がつかずにいた。
ところで
8月15日を終戦の日とするのは日本だけです。
9月2日にミズーリ号甲板上で降伏文書に調印したのが国際的な終戦の日です。
ただし、ソ連の解釈は違います。
----ウィキによると----
8月14日のポツダム宣言受諾、15日の終戦詔書を無視しました。
8月29日に択捉島、9月1日~4日に国後島・色丹島の占領を完了した。
歯舞群島の占領は、降伏文書調印後の、3日から5日のことである。
最終的に軍事行動を終えたのは9月5日になってからです。
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「日本人はなぜ大災害を受け止めることができるのか」大石久和 海竜社
著者は元国土交通省技監です。理系の思考ですね。
読みづらい本ではあります。
繰り返し、西洋と中国は歴史観が違う、西洋・中国は積み重ねる歴史観で、日本は流れる歴史観だと説いている。
大量死は、西洋・中国では紛争によるもので、日本では自然災害によるものだとしている。
この観点から、繰り返して説き起こしていて、第1章で説き尽されているはずだが、あまり伝わってこない。
似たような内容を第4章で説いて、なるほどなぁ、納得するところがある。
内容は平易なことが書いてあります。語り口に魅力がないから、いや、読みづらい。
第1章、日本人はなぜ大災害を受け止めることができるのかー日本人と日本人以外の人々を隔てるもの
第2章、日本人はなぜ「装置インフラ」を軽視するのかー日本人になじまない「インフラ」と「公」の概念
第3章、日本人はなぜ合理的になれないのかー歴史が生み出す必然的な「合理性」と「非合理性」
第4章、「日本人の思考癖」を解読するー政治・行政・世論・メディアを支配する日本人の性癖
第5章、これからの日本人に期待することー大切なのは「自戒」と「自覚」と「自信」をもつこと
2020オリンピック・パラリンピックの企業応援団というか、スポンサーというか
こんな企業名が連なっています
株式会社 アシックス
株式会社 デサント
株式会社 ジェイティービー
近畿日本ツーリスト 株式会社
ミズノ 株式会社
全日本空輸 株式会社(ANA)
日本航空 株式会社(JAL)
綜合警備保障 株式会社(ALSOK)
ヤフー 株式会社
グリー 株式会社
読売新聞東京本社
丸大食品 株式会社
EH 株式会社
株式会社 マルハン
トップツアー 株式会社
大和ハウス工業 株式会社
トヨタ自動車 株式会社
株式会社 AOKIホールディングス
セガサミーホールディングス株式会社
日本生命保険相互会社
楽天株式会社
パチンコのマルハンが加わっている
違和感あり、とわたしの感想を述べておきます
職業差別だというの?職業に貴賤はないというのかい?
見下すべき職業はあるよ
オリンピック招致に金を出すことで免罪符を得ようとする魂胆が見え見えだと思うよ
メインストリートへ合流した。御陵と烏帽子山を結ぶ道に合流した。
ブナ林の中を行くのだが、空がスカスカに透けて見えるのですよ。かっての印象では空が見えないほど梢に覆われていたように思うんだがね。
強風で木が倒れたのかもしれない。老木が寿命尽きて倒れたのかもしれない。あるいは、昔の記憶が美しすぎるのかもしれない。
このあたりが比婆山の最高地点、それを示すものは何もなくて、御陵の前へと進んで行く。
御陵には、イザナミノミコトが葬られていると伝えられている。国産み神話、皇室誕生以前だから、宮内庁管理地ではないのだよね。
さて、烏帽子山に向かおう。さっきの近道合流地点からメインストリートを歩く。
烏帽子山の稜線に近づいて、東まわりと西まわりのコースに分かれるようになっている。ここは東まわりの道を行くことにする。
低い灌木の間をたどって、ここが烏帽子山の頂上。山頂の周囲は低灌木に囲まれていて御陵が見えている。灌木が邪魔して他の山は見えないのだ。
烏帽子岩の上に登ったが、大峠の方向はよくは見えない。
吾妻山の頂上からなら大峠の風景は見えるかもしれない。そもそも、大峠の集落から見えているのは吾妻山なのだ。烏帽子山はこれがそうとは見分けにくい。
ましてや御陵は烏帽子山の陰になって見えてはいない。島根県側からは吾妻山は親しい山だが、比婆山は疎遠の山なんだろうね。
編集が終わりました。アップが完了しました。
一部分を抜書きしています。
「ヘンな感じの日本人」カイ・サワベ 講談社
カメラマンで、20代の若い頃、ドイツに渡ってサッカー・カメラマンになった。
大体は、ヨーロッパで暮らしているのだそうな。
現在、58歳。
短文の集まりなんですよ。雑誌連載とは書いていないから、雑誌コラムのスタイルで書くように出版社に求められたんでしょうね。
日本人の不思議を語っているのだが、当の日本人は不思議とも思わない。そこのギャップが楽しいんですね。
目次
○「アッ、今日は日本人がいっぱいいる!」と感じる時
○電車が2分遅れただけで、その連絡をサッとするのが不思議に思える時
○キスしちゃいそうになる時
○アパートに入るのにドアを押してしまって開けられない時
○肯定と否定の返事の首の降り方がわからなくなる時
○タクシーのドアを自分で開けてしまう時
○セミの声が異常に気になる時
○「ゴメンナサイ」と言い過ぎるのに気づく時
○会話の仕方にすいて考える時
○女性のおシリを振り返って見る時
○ブドウをタネまで食べる時
○現代日本の風景を魅力的なものに感じる時
○ハナをすすり上げるのが気になる時
○ラーメンをすすらないで食べる時
四分の一ぐらいまで目次のタイトルを書き写したが、まだまだ続きます。
「つくもがみ、遊ぼうよ」畠中恵 角川書店
古道具屋兼損料屋の出雲屋の二階には付喪神(つくもがみ)たちがたんといます。
ここんちの子の十夜(とうや)と友達の市助とこゆりは付喪神と仲良しなのだ。
章ごとにばらばらなお話しだが、付喪神が活躍することに変わりはない。
主人公が活躍すると、だんだんと愛着が湧いてくるもんだが、いまいち付喪神に愛情が湧かないねぇ。
道具が百年も経つと、妖(あやかし)となって、付喪神(つくもがみ)となるのだ。
双六のそう六、煙管の五位、櫛のうさぎ、根付けの野鉄、帯留めの黄君、掛け軸の月見夜、などなど。
札差の大久屋がサイドストーリーでお話しに絡んできます。
十夜が捨て子で、出雲屋の夫婦が稲荷の前で拾ったことが後々お話しに効いてきます。
高見山と前山とは別々の山塊なんだよ。山塊の間には谷がある。谷越しに高見山を眺める。頂上はけっこう上の方にあるのだねぇ。
山塊と山塊を繋ぐ吊り尾根を渡って、いよいよ高見山の斜面を登って行く。
傾斜が急になって、これ以上自転車を漕ぐわけにいかない。降りて押して歩こう。
火野正平もどこかで軽トラを捕まえて便乗して登っていたよな。当然だろう、無理もない。
高見山の北側を巻いて行く道だから、尾道方向が見えると思うでしょ。前の山が邪魔してよく見えない。松永湾がよく見えているのだよ。
高見山スパイラルデッキ遊歩道と高見山頂上展望台の分岐に差し掛かる。当然、頂上の方へ向かうね。頂上まで450メートルなんだそうな。
石段があって、石段の先に鳥居が見える。神社だろうと思ったが、高見山不動尊なのだそうな。火野正平は石段の奥へ進んでいたよなぁ。
自転車を押して歩くのだから舗装路を進まなきゃならない。直進の石段を見捨てて、迂回路の舗装路を進む。
ここが高見山頂上。展望台があり、テレビの送信所があり、三角点もあり、頂上は平削されていて、コンクリートで覆われている頂上なんだよねぇ。
これは明らかに登山対象の山ではないね。自転車で登るにも、向いているか、と聞かれても、うんとはよぅ言わん。
編集が終わりました。
一部を抜書きしています。
http://sherpaland.net/bike/2013/bike-130805-mukai_takami/bike-130805-mukai_takami.html
[病気の話しはするまいと決めていたのに]
前のスレッドのタイトルです
言うまいと
行くまいと
動くまいと
う行の語幹+まい、これらの類例には違和感はないのですよ
病気の話しはするまいと決めていたのに
病気の話しはすまいと決めていたのに
病気の話しはしまいと決めていたのに
どう書き換えても日本語としてしっくりこないのは何故なんでしょうね
するまいと
使っていてザラツキ感があるのは
[するまいと]には現代文から離れた印象があるのかもしれませんね
室町時代の狂言の言葉か、歌舞伎の台詞のような雰囲気があるのかもしれません
あるいは、どこかの地方訛りの言葉のように聞こえるのかもしれません
病気の話しは決してしないと決めていたのに
これなら違和感はないが、つるっとした印象に変わるのはどうしてなんでしょうね
[××まい]の粘着性をそぎ落としたからでしょうかね
「まりしてん誾千代姫」山本兼一 PHP
誾千代姫はぎんちよひめと読みます。
筑後柳川藩の大名、立花宗茂の奥方のお話しです。
葉室麟に「無双の花」があります。こっちは立花宗茂の視点で書いたお話し。
摩利支天を信仰して、女子組を300人引き連れて巡視しております。
朝鮮の役から関ヶ原の戦いのあたりは既に知っていることだから、ドキドキ感がない。
九州の国人、大名についてはよく知らない。
九州の戦国情勢が判って面白いものがあります。
立花家はまだ戸次(べつぎ)家と名乗っていた。
宗茂が婿入りした時はまだ千熊丸から統虎と名前を変えたばかりだった。
勃興するに従って戸次家から立花家と家名を変える。
誾千代はずっと誾千代なんですねぇ。
【「日本が携帯用意していれば」「登山止めてくれれば」 アルプス遭難事故、韓国で責任転嫁の声】
http://www.j-cast.com/2013/07/31180560.html
中央アルプスでの遭難事件なんですがね
韓国国内メディアの報道や、韓国総領事の発言が表題のような内容だそうです。
何かコメントを付けたいところですが
採録することでコメントにかえたいと思います。
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