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2013年11月 9日 (土)

小田川、上流部、神石高原町、その1

いつまでも県道を進むのは本意ではないね。川沿いに進んでこそ意味がある。川に沿って進もう。
真っ直ぐに整備された川だなぁ。定規を当てたみたいにピシっと直線で、愛想のない川だわい。
年寄りがいたから聞いてみよう。この川は小田川ですか。
名前はないよのぉ。農業用水じゃけぇ。名前で呼んだことはないよのぉ。
ま、確かにね、ただの溝川だものね。なんだか気落ちして、水源地まで訪ねる意欲が消えてしまったな。
この先は舗装がなくなって草の道になってしまっている。もうええ。ここで打ち切って、引き返すとしよう。
下るに連れて、近隣の谷川を引き込んでだんだんと溝の水量が増えてきた。
川の名前の看板があるんだが、小田としか書いてない。スペースが余っていて、当然そこには川の字が入っていたんだよねぇ。
レッキとした橋に出会った、観音橋、銘盤には小田川と銘記されている。これで紛れもなくこの川は小田川だと証明されたぞ。

編集が終わりました。
新しいページをアップしています。
これは一部分を抜書きしたものです。

http://sherpaland.net/bike/2013/bike-131108-odagawa_joryu1/bike-131108-odagawa_joryu1.html

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コメント

神石高原町の川の流れを説明した地図を作ったことがありますので参考にしてください。
http://jkougen.jp/travel/2007/005syoukai/01.html

> どこへ車を置いて出発しようか。神石高原町の町役場の駐車場に置いておくことにしよう。 小畠の交差点から役場へ入って行く。始めて役場への道を進んだが道が狭いねぇ。どこか広い場所で建て直すべきだと思うよ。

あはは すったもんだであの場所に決めたんですがね。狭いというのは旧油木町民がよく指摘していたことです。昔の代官所跡に嵌め込んでいるので今となれば狭いですが、あの交差点を通って役場へ行く人は少ないですよ。西の亀山神社側に少しはマシな町道があるので、皆さんそちらを通られるようです。

> 真っ直ぐに整備された川だなぁ。定規を当てたみたいにピシっと直線で、愛想のない川だわい。

昭和50年頃行われた上(かみ)地区~城江(じょうえ)地区の圃場整備によって直線にされたのです。

> 名前はないよのぉ。農業用水じゃけぇ。ついぞ名前で呼んだことはないよのぉ。ま、確かにね、ただの溝川だものね。なんだか気落ちして、水源地まで訪ねる意欲が消えてしまったな。

前出の地図を参考にしてもらえればわかりますが、県が管理する1級河川としての河川尻は、光信川との合流点ということになります。小田川の本流は県道(吉舎油木線)沿いの流れではなく、どちらかといえば直行している光信川の方だと云われています。

> この先は舗装がなくなって草の道になってしまっている。もうええ。ここで打ち切って、引き返すとしよう。

私も調べてみましたが、光信川との合流点から上流は、確かに無名のようです。光信川(湯っ蔵さんわの方向)へルートを取るともう少し楽しめたのですがね・・・

> 川の名前の看板があるんだが、小田としか書いてない。スペースが余っていて、当然そこには川の字が入っていたんだよねぇ。

馬洗川の看板の時もそうでしたけど、「川」の字はステッカーが禿げやすいのかもしれません。この先は山野峡に至るまで狭隘続きです。

> 県道を進んで、採石場を過ぎて、川からかなり離れて道は進んでいる。

あのあたりは台地状の地形ですから川が遠い感じです。

> 町役場の隣に小畠代官所跡と石碑がある。幕府の代官所ではなくて、豊前中津藩の代官所跡なんだそうな。

そのあたりの経緯はこちらで・・・
http://jkougen.jp/travel/2007/005syoukai/02.html

> 神石郡4町村が合併したとき、町役場は代官所跡地がふさわしい、という論拠が通ったのかもしれないね。

「首都が獲れねばいつでも福山と合併するぞ」と三和が開き直れば油木としても引き下がるしかないでしょう。旧上下町がさっさと府中と合併を決めてしまった結果分裂した旧甲奴郡状態になってしまいますもの。

> 町役場は狭い路地奥にあって、バスが通るのもギリギリじゃありませんか、これでは消防自動車が入るのにも難儀するよ。県道沿いに建て直したほうがええと思うよ。

裏口が比較広いので機能的な支障はないようですので、いまさら建て直しはきかないでしょう。よもやそんな声が出たら私たちは断固反対します。民間はみな疲弊して役場の門前町もいまやゴーストタウンみたいな状態。民間あっての役所ですものね。

いやぁ、すみません。勝手なことばかり書きまして。

最初の小田川に触れたのは偶然なんです。
[神石・福山の境界、猿鳴峡・山野峡]で猿鳴峡・山野峡を楽しんだのですが
小田川が県境のほうへ流れて行って、道は坂道を登って芦田川流域へ移っていきます。
バス停に北振バスとあって、岡山県と結んでいます。
へぇぇ、このあたり、小田川沿いでは商圏は岡山県が近いのだ。
成り行きで福山市に属しているが、昔々は備前のほうが行きやすいのだ、そう感じました。
ここあたりは、次回、小田川で県境を越える予定でいます。

光信川(湯っ蔵さんわの方向)へ向かうのが本来のスジだったんですか。
図上演習でこうかな、とにらんだものが現地情報で覆されます。
こういうところが面白いのですね。
町役場の立地では失礼なことを言ってしまいました。
旧小学校の跡地が芝生を植えてあって、ゲートボール場になっています。
ここならピッタリなのに、これは無関係者の意見です。
町役場には裏手、横手から入る道があるなら問題ありませんね。
小畠交差点からの道しかないと錯覚したのが間違いでした。

小田川は江戸時代以前は井原から西に流れて芦田川(高屋川)に注いでいたのだが、福山城を洪水から救うために水野勝成が東方向に流れを変えた、との説があります。確かにあのへんは流れがはっきりしない地形なので、私も川を辿って探検したことがあります。その結果小田川の水の一部は現在でも芦田川に注いでいるという驚愕の事実を知ったのであります。

http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000070712291&owner_id=18567671

> 図上演習でこうかな、とにらんだものが現地情報で覆されます。

どうしても幹線道路沿いが本線に見えてしまいますものね。光信川だって圃場整備前の昔はあんなに直交していなかったはずだから、わかりにくくなりますよね。恨むならあんな農地設計をした特殊法人土改連(どかいれん)を恨んでくださいw

三和小学校の跡地ですが、ここは昨年8月ごろ解体されました。神石高原町役場が今の位置に決まってから8年後のことです。現在は山の上に中学校と並んで同名で新設(移転ではない)されており、うちの子供も通っております。元々地盤が弱く洪水にも弱い場所なのであそこを役場にするのは無理でしょう。

・・・なんといいますか、現在の役場も元をただせば旧三和小学校の前身である「小畠尋常小学校」の跡地(つまり代官所として貸していた個人宅を借り受けて小学校にしていた)なので、そうそう小学校の跡にばかりには移転できないでしょう。加えて旧油木町との協定として、庁舎を新設するなら国道182号沿いの旧油木領内に、というものがありますので、さらに動きが取れません。総合的に考えて、庁舎の移転は未来永劫無いと思いますし、よもや「する」なんて言い出したら町民あげて反対します。

http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000070712291&owner_id=18567671

そうでした、このとき、小田川の源流は湯っ蔵さんわの前あたりだとおしえてもらっていたのでした。
その当時、小田川を辿るとは思っていませんでした。

なるほどねぇ、町役場については、極めて微妙なところがあるのですね。
やわらかい個所をつついたようで、失礼しました。

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