海洋堂創世記
「海洋堂創世記」樫原辰郎 白水社
今でこそ海洋堂は食玩の覇者で、押しも押されもせぬ存在だが、初期の海洋堂の物語です。
海洋堂は1964年に創業されていて、守口市土居から門真市へ引っ越した。
そのころ、大阪芸大の学生の樫原辰郎は海洋堂の客としてうろうろしているうち、引き込まれて海洋堂へ入社した。
アルバイトのような、正式スタッフのような、曖昧な身分だった。
名前で呼ばれることはなく、モドキとあだ名で呼ばれるのが通常だった。
その頃の海洋堂は、ガレージキットを作っていた。ガレージキットとは、プラモデルほど精密ではない少量生産ものなのだ。
1986年、消耗しつくして筆者は海洋堂をやめる。
その時代の海洋堂は企業とは言えない、模型屋であり、工房であったわけだ。
創業当時は疾風怒濤の狂瀾時代で、人が入ったりやめたり、職人の情熱と気ままの世界だった。
創業当時の熱に浮かされた時代はどこの企業も似たようなもんでしょう。
企業として方向付けされる時代の方を読んでみたいなぁ。
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