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「春を背負って」笹本稜平 文芸春秋
6編の中編連作です。
父が亡くなり、亨は秩父山地の山小屋を引き継ぐことにする。
埼玉県・山梨県・長野県が接する地域で、冬には小屋を閉ざして長野県側に降りるのだ。
ホームレスのゴロさんが手伝ってくれることになった。
父と一緒に働いていたこともあり、南アルプスの山小屋で小屋主を請け負って経験が深い。
雇用の形だが、教えてもらうことになる。
自殺を志して、美由紀が登ってきた。救助して、山小屋で働いてもらうことになる。
主要な登場人物はこういう形で物語に出てくるのだ。
だれも悪いヤツは出てこない。そりゃぁいますよ、悪いヤツは。出てきても物語を揺るがすほどのことはない。
というわけで、心穏やかに読み進められるお話しです。
[なかたがい]は[仲違い]
そもそも最初は[なかちがい]だったはずです
それがいつしか[なかたがい]にすり替わったわけは
言い難いからです
もういっぺん言います、大声で言います、言い難いからです
[なかちがい]は母音が[ああいあい]
顎がガクガクさせて、歯を剥き出しにして、美しくない、みやびでない
[なかたがい]母音にすると[ああああい]
発音する時、顎はきわめてスムーズです、どうだぁ、みやびでしょ
日本語は言い易いほうへ傾いていきます
万葉集の言葉は中世の能狂言の言葉とは大きく違います
ましてや、現代語はさらに大きく変わってしまった
[母]はこう変わりました
万葉集時代は[ぱぱ]でした(papa)
平安時代には[ふぁふぁ]に変わった(fafa)
能狂言では[はは]に変わった(haha)
万葉仮名や、いろは仮名から、それが判ります、表音文字ですから
唇が触れる方から触れない方へ、時代の趨勢は省エネの動きなのです
他の例を点検しましょうか
方違え
[かたちがえ]→[ああいあえ]
[かたたがえ]→[ああああえ]
自然の成り行きで
[かたたがえ]となります
食い違い
[くいちがい][ういいあい]
顎・唇の動きはスムーズですから、[くいたがい]とはなりません
これは変化なし
「動物学科空手道部卒業高田トモ!」双葉文庫 片川優子
「動物学科空手道部1年高田トモ!」「動物学科空手道部2年高田トモ!」と三部作なんだが
どうも1年しか読んでいないような気がする。2年は読んでいないと思う。
空手の部活は、3年ともなると幹部なわけです。
頑張らねばならないのだが、研究室の当番があったり(動物の世話しなきゃならない)就職のインターンなどがあって、思うようにならない。
インターン、教育実習で、動物園、動物病院を選ぶ。
決まった、就職するのは動物病院のVT(動物の看護師)を目指すことにする。
ほとんどが3年のこと、4年は数ページで、卒業となる。
獣医大学とは獣医学部は6年、周辺の動物学科は4年、高田トモは4年のほうなのだ。
青春恋愛小説で、さわやかな構成なのだ。
獣医大学とはこういうものなのか、と空気感がびしびし伝わって来て、知らない世界を覗く楽しみがある。
道の先には池がある。池を管理するためにここまでの道をしっかりと草刈してあるのだ。
池から高鉢山の山頂までは、ほんのすぐそこのように見えている。山頂は右の峰か左の峰か。
池から奥に入ると、農作業の小屋がある。たんぼがあったのだが、耕作放棄して長い。たんぼに杉の苗木を植えて、だいぶ成長している。
あっちの道を試し、こっちの道を試し、どっちもヤブで道が塞がっている。旧たんぼと山際の境目に道があって、これを進むと、小さな池がある。
池の堤を歩いてまだ道は続いているような、続いていないような。このあたりから手入れするのは放棄したような感じなんだね。
下を見ると、池が見え、小屋が見え、谷のどん詰まりまで来たなと実感する。
この先に道はない。疎林なら入っていくが、密林だもの、入って行く気が起きてこない。ここまでだな。頂上まであと200メートル程度の距離だが、ここを突破するのは難しいと思うよ。
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これは一部分を抜書きしたものです。
このひと、芸人と呼んでええのか、別の業界人なのか
戸惑うことがあります。
基本的には、寄席、ライブステージに出演するのが芸人なんでしょうが
何かの流れでテレビのバラエティに定着しているひとがいる。
例を挙げましょうか。
マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、勝俣州和、青木さやか、などなど
タレントというカテゴリーで括ればええのだろうが、生息域は芸人の周辺なんですよ。
木戸銭で食べている、エイギョーで食べている
芸人の基本はそうなんでしょうが、そこまで厳密に区分けしなくてもええような気がする
芸人のようなもの、気分は芸人、これも芸人に繰り込んでも構わないのじゃないかしら
芸人と芸能人の違いがわからないものね
皇居の呼び名は、内裏(だいり)、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)、宮城(きゅうじょう)、蓬が洞(よもぎがほら)、大宮、雲の上、雲居など非常に多い。
以上はウィキからのコピーです。
内裏、御所、宮中、禁裏、は小説読み物などで目にしたことがあります。
他はあんまり見ることもない言葉です。
「いにしへのならのみやこのやへざくら けふここのえににおひぬるかな」
「ももしきのおおみやびとはいとまあれや うめをかざしてここにつどへる」
掛け言葉、まくら言葉で、皇居そのものを描いているわけではないが、空気感は伝わるでしょ。
「えらい」「しんどい」「だるい」「こわい」「きつい」「つらい」以下省略
Jタウンネットのアンケート集計なんですがね
http://j-town.net/tokyo/sanpo/sanpocolumn/141236.html
わたしは「しんどい」派に属しています。
一位が「えらい」
ほんまかね、回答母集団に偏りがあるんじゃなかろうか。組織票のせいじゃない?
以下はテレビ朝日からの受け売り・コピーです。
http://www.tv-asahi.co.jp/ss/04/top/top.html
雅子さまの安産を祈願する皇室の伝統行事「着帯の儀」が行われ、皇太子殿下が見守る中、雅子さまが天皇陛下から帯を贈られたニュースが流れました。
ところで、雅子さまご懐妊から頻繁にニュースに出てくる場所があります。
それが「宮内庁病院」。
東京都千代田区千代田一丁目、皇居の東側地区にある鉄筋コンクリート2階建ての建物で、診療科目は内科、外科、産婦人科、皮膚泌尿器科、眼科、歯科、耳鼻咽喉科、放射線科の8科目となっています。
この建物は昭和39年に建てられたもので、それ以前は倉庫を改築したものを使用していたとか。
当時の建物でお生まれになった皇太子殿下は、大学時代に自己紹介で「私は皇居の中のとある倉庫で生まれました」と語ったそうです。
この病院は、皇族の診療を目的として作られたものですが、宮内庁職員などの宮内庁関係者やその家族も利用できます。
さらに、これらの関係者の紹介があれば一般の人でも利用できるのです!
タレントの二谷友里恵さんも出産6カ月前検診をこの病院で受けたそうです。
ただし病院関係者の話によると、玄関および病室は皇室用と一般用に分かれているとか。
また、1 階中央には大きな吹き抜けスペースがあり、階段手前から歯科、内科、耳鼻咽喉科、眼科などがあります。
2階は階段突き当たりに産婦人科、隣に外科、東側に一般人用の病室、半分は皇室専用の病室などが配置されています。
(以下省略)
だいぶ以前のニュースです。
へぇ、一般人でも紹介があれば受診できるのか。
ほほぅ、皇族と一般は玄関から奥まで仕切で区切ってあるのか。
それはそうだろうね。宮内庁職員の家族と皇族が同じ待合室にいるのは想像できない。
これから先は想像だけど
皇族には健康保険証はないと思うよ。戸籍、住民登録がないことだしね。
支払いは自分で払うのではなく、宮内庁会計に伝票が届くのだと思うよ。
休石あたりで、後醍醐天皇の休石という旧跡があって、小字が休石と呼ばれている、そのあたりから富士山のような円錐形の山が見えてくる。
てっきり剣山と思うよねぇ。前に登った時にもこの山が剣山だと思い込んでいた。
実はね、自転車でゆるゆると近づくと、県境の山が円錐形の山の背後に現れるのだよ。円錐形の山は県境手前に押し出されるのだよ。
地図には名前がない。現地では何と呼んでいるか知らないが、一番近い集落が千屋花見だから、千屋花見山とでも命名しようかね。異存があるなら、別の集落名、小原田山、峠田山でもええよ。
新見千屋温泉の分岐まで来た。温泉に行くにはここから坂道を登るのだが、自転車に坂道は気が進まないなぁ。ええじゃん、すぐそこま来たということでパスしようよ。
そのかわり、国道をそのまま行って、明地トンネルの手前まで行こう。
ここが明地トンネル、このトンネルの出口が鳥取県日野町なのだよ。
もうすっかり忘れていたが、トンネル手前に車を停めて、剣山、三日月山に登ったのだ。もう10年以上昔のことだから記憶の底で、頂上から風景くらいしか覚えていないなぁ。
さて、戻ろう。
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これは、その一部分を抜書きしたものです。
http://sherpaland.net/bike/2014/bike-140614-niyimi_chiya/bike-140614-niyimi_chiya.html
画像処理のソフトですが
ものの弾みで、縦のツールバーが消えてしまいました。
いろいろやっても出てこないので、ええい、再インストールだ。
まず、削除しなきゃならない、とお告げがあって
削除の段取りに入ると、なにやら永久循環、なんぼ待っても削除が終了しません。
PCのシャットダウンを試みても、永久循環となり、シャットダウンの完了に至りません。
こりゃもう最後の手段、ソケットを抜いて電源を切断しました。
再起動するのにドキドキするもんですねぇ。
無事に再起動して、正常の姿に戻りました。
コントロールパネル→プログラムと機能
ここで削除を試みましたが、ここでも削除できない、永久循環に迷い込んだまま終わらない。
それならこの手
ソフトCDから上書きインストール
最初に削除するように、とのお告げを無視して上書きしました。
結果、画像処理ソフトは無事に動いております。
消えてしまったたツールバーも無事に出現しました。
ソケットを抜かなきゃ止まらないほどのトラブルは久しぶりです。
「忍者月輪」津本陽 中央公論新社
にんじゃがちりんとルビがあります。
がちりんという忍者がいるのではなく、ウェイ・オブ・ニンジャ・ライフを指しているようです。
伊賀忍者、萱生伝兵衛、京都所司代の村井貞勝に仕え、本能寺の変、秀吉中国大返しの時代を生きる。
忍者小説としては突き抜けております。
伝兵衛は神通力を得ています。天眼通、天耳通、他心通。
遠く離れたところが見え、遠くの話し声が聞こえ、他人の心の内が見え、心を操れる。
武田忍者の蕨手、これも神通力を得たスーパーマン、武田を見放し、伝兵衛の傘下に下る。
毛利忍者にスーパーマンがいる。彼との戦いに苦労する。
津本弁とでも言うべきか
「上さまは攻め滅ぼしかねぬお方でのん」
「一切他に漏らしはせぬだがや」
尾張弁のような上方弁のような古語のような、津本弁が心地よろしい。
「異国合戦 蒙古襲来異聞」岩井三四二 講談社
元の襲来のお話しです。
文永の役、1274年、蒙古勢が高麗を引き連れて突然襲来して来た。
主人公、竹崎季長は波打ち際の異国の軍勢に一騎で撃ち入れて行った。
一番乗りが認められず、鎌倉へ直訴に行った。
聞き入れられて、功績が認められ、肥後の地頭に連なった。
弘安の役、1281年、再び襲来してきた。
今度は、その間に滅ぼした南宋の軍勢も引き連れてやってきた。
場面は、鎌倉幕府の中から肥後筑紫の陣営の中まで及ぶし、
元の宮廷、高麗の宮中、かなり広範囲に場面が展開する。
始めに登場人物表があります。
途中でその人物表と照合しないと、お話しの展開が読めない。
漢人と高麗人は同じ姓名三文字なので、もつれてしまう。
文永の役、弘安の役、どっちも嵐で船は難破してしまうわけですね。
蒙古襲来はこの二つだけだけど
そのあと、何度も計画されたようです。
他で反乱が起きて、そっちに軍勢を向けざるを得なかったり、
三度目の襲来は避けられたようです。
結局、フビライが死んで、日本征服は取り止めになったようです。
自治振興区、農村振興公社、地域振興券
JETROの正式名は日本貿易振興機構
独立行政法人科学技術振興機構
独立行政法人日本芸術文化振興会
教育振興基本計画
振興てなんでしょうね、ちっちゃなものから大きなものまで
振るって興す、んでしょうね(ちょっと沈黙)
振るって興すとは何をどうするの?
振興とは、西周・福沢諭吉などの明治の造語とは思えない
検索すると、殖産興業という語彙はあっても、殖産振興というのはない
富国強兵と殖産興業は同一カテゴリー、同じ発想の臭いがします
感覚では、振興とは戦後の造語のような気がします
中国で振興というワードを見ることがない
彼らは明治の造語を輸入するのは必然だったのです
明治期に振興があれば、しぶしぶでも必ず移植したはずです
だけど、今どきの現代日本語を借用するのは抵抗があるみたい
リーベングイズ(日本鬼子)シャオリーベン(小日本)
メンツにかかわるから、日本由来の振興を使うより、別の漢字を使いたいようです
という二つの理由で
振興とは戦後に出来た新しい造語だ、と主張します
読売新聞の記事なんですがね
http://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20140603-OYTNT50481.html?from=ycont_top_txt
山梨県の知事が国土地理院の地図に怒ったということです。
確かに、地理院地図(電子国土Web)のページで、富士山の頂上付近を右クリックすると、住所緯度経度が現れます。
ええじゃないの、富士山に限らず、所属未定地はなんぼでもあります。
北アルプスの白馬岳頂上付近、黒部渓谷下の廊下近辺、境界が確定していません。
ネット地図で右クリックしても所属地不明としたのではおかしいでしょう。
行政上の位置確定とは別のものだということは判ってくれなきゃ。
二俣山頂に到着。下界の蒜山高原が見えてはいるが、薄霞んでいて、判然としない。数日前から黄砂が飛んできていて近所の山も判然としないものねぇ。
二俣山頂上道標がある。皆ヶ山野営場2400m皆ヶ山800m、最初に見た道標と真反対の表示になっている。
ここで考えたんですよ。キレットを下るのは嫌いだ。だけど、ここまで来て登るのを諦めてええのか。結局、押し切って皆ヶ山に登ることにしました。
鞍部の底が見えないので、どれくらい下り続けるのか先が読めない。皆ヶ山とアゼチの全貌が見えている。
そんなに深い鞍部ではなかった。そりゃぁせっかく登った貯金を吐き出して降りて行くのはええ気はしないよ。でもまぁこの程度ならアリと認められる鞍部だった。
登り直して、振り返ると、二俣山が見えている。二俣山の高さまでは回復したぞ。やっとのことで皆ヶ山の頂上に立った。
皆ヶ山はあそこ道はここまで。アゼチに進む踏み跡は見えるが、積雪期残雪期に登る道だろうな。今の時期、無理して通るような道ではないね。
アゼチを眺め、上蒜山を眺め、蒜山高原の下界を眺める。うむ、ええもんだ。
さて、降りるかね。
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へぇ、秘密結社『フリーメーソン』がどうしたんだって。
よくよく読み込んでみると、秘密結社『フリーソーメン』
「無料で素麺」を配る団体さんなんだそうです。
思わず、吹き出してしまった。
元ネタをクリックしてみてね。
http://otakei.otakuma.net/archives/2014053101.html
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