宇喜多の楽土
「宇喜多の楽土」木下昌輝 文芸春秋
備中備前美作の太守、宇喜多秀家の物語です。
宇喜多家では殿の威光が行き渡っているわけではなかった。
毛利と領地の争いをしていた。
対毛利と対家中のため、家中への安堵状に豊臣秀吉の添え判をもらった。
のとのち、これが問題の種となった。
家中は、宇喜多家の属臣であり、豊臣家の直臣でもあり、非常に扱いづらい。
領土の安堵に代えて、宛行(あてがい)=俸禄で処遇する方式に変更した。
この時も、秀吉の添え判をもらって強行した。
朝鮮征伐から関ケ原、宇喜多からの目で見るのはなるほどの納得があります。
児島湾の干拓、干拓して流民を定住させる、そこが楽土となる。
お話しの底流にはそれがあります。
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