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ゲートには豊栄飛行場と看板が取り付けてある。さらに急な坂道を押して登って、山頂部を切り開いて滑走路がある。
通常の飛行機ではない。ライトプレーン、ウルトラライトプレーンで遊んでいるのだ。見ていると、単座の飛行機あり、複座の飛行機あり、外殻なしで、剥き出しの状態で乗っているんだね。
今日は風が強いですね。こんな日には飛べないでしょう。無理、無理、飛べん、飛べん。自転車で来ちゃったんかいね。
さて、下りるか。こんな急坂は自転車の乗ったままでは危険だぜ。押して下りよう。ゲートも過ぎて、四つ角も見えてきた、このへんからなら乗ってもええだろう。
メイデイ、メイデイ、アウト・オブ・コントロール! ハンドルが左右に取られてグニャグニャグニャグニャ。
セメント舗装で、タイヤとの摩擦を効かせるため、洗濯板舗装にしてあるのだよ。洗濯板でハンドルが取られて操縦不能に陥ってしまった。
自転車から放り出された。左足の爪先に草の株が引っ掛かった。爪先は踵の反対側に曲がって行った。
とんとんと足踏みしても痛くはない。しかし、ペダルに足を掛けるとジンジン痛む。
捻挫程度だろうなと軽く思っていました。
とにかくタクシーを呼ぼう。104で東広島市豊栄町のタクシー会社の電話番号を聞いてタクシーを呼ぶ。三和支所の役場までタクシーで来て、自分の車を回して自転車を回収する。
休日夜間急患診療所に行く。足の骨、脛骨、腓骨、腓骨のほうにひびが入っていますね。明日、整形外科に行ってください、紹介状を書いておきます。
翌日、整形外科の見立てでは、腓骨が裂けています。三次中央病院を紹介します。そこで手術を受けてください。
今日は土曜日、日曜日はこのままでいて、月曜日に入院することにしよう。
編集が終わりました。
新しいページをアップしています。
これは一部分の抜き書きです。全体の姿は、下のリンクからお出でください。
http://sherpaland.net/bike/2020/bike-200320-toyosaka_ap/bike-200320-toyosaka_ap.html
先日、自転車のページに、地区別のページ一覧表を設けました。
一覧表であり、クリックされた人気投票=ランキングでもあるわけです。
cgi の機能を使っています。
cgi とは、自分では手を下さず、サーバー側でデータの分類・集計をさせる仕組みのことです。
これを利用しないテはない、トップページにも盛り付けました。
HPトップページに、登山の分類で5カテゴリー、プラス、自転車の分類で7カテゴリー。
最新のページは新着案内で誘導できるが、過去のページは埋もれてしまう。
トップページから個別のページに分散誘導する手立てを考えていました。
暦年の積み上げ陳列は別にあり、これは地区別の散らばり陳列に相当するわけです。
これを使えば、過去のページに誘導する手段にもなります。
ひたすら、読み手のクリック任せで、上位下位にランクされます。
書き手の肩入れ・後押しが通用しないところが極めてドライです。
県道6号線は北へ向かう。大集落へ入って行く。生田大橋を渡る。陰陽神楽街道6号線吉田邑南線とある。広島県安芸高田市吉田町と島根県邑南町を結んでいるのだよ。
邑南の漢字を引き出すには、おおなん と打ち込んで転換すれば邑南と候補が出てくる。参考までに。
ここが生田集落である証しです。交通標識に、安芸高田市美土里町池田とある、Ikeda とある。生田川(いけだがわ)は生田(いけだ)集落で代表する川なのだよ。
集落外れの新大橋を渡る。観光案内の看板がある。犬伏山への分岐なのだ。「湿原、三瓶の展望、犬伏山」「湿原、三瓶の展望、犬伏山2」ここから犬伏山に向かったことがある。
自転車で走るにあたって、一応、原則を立てております、正午になったら引き返す。とりわけ、秋から冬は日没が早いからね。原則に従って、ここで弁当を食べて引き返そうよ。
さて、帰り道、生田の集落内を行こうか。県道の新大橋と生田川をながめる。江戸時代以前からの旧道を戻ろう。
国土地理院の地図、2万5千図を見ると、生田には、上市、中市、下市、出店と集落名がある。
昔々は店屋があったのだろうな、旅籠があったのだろうな。今は寂れているが、地名が昔の繁盛を教えてくれるのだよ。
旧道から県道に出ると、バス停の名前が生田市、ほらね、市が立っていたのだよ。
編集が終わりました。
新しいページをアップしています。これは一部分の抜き書きです。
全体の姿は下のリンクからお出でください。
http://sherpaland.net/bike/2020/bike-200309-ikeda_rv/bike-200309-ikeda_rv.html
ガックリをガックシに
ピッタリをピッタシに
言い換えて、世間では通用しているけれど
そっくりをそっくしに
さっぱりをさっぱしに
言い換えてみたが、これらは通用していません
どこに違いがあるのでしょうね
たぶん
ガックリ、ピッタリは オノマトペ(擬音語・擬態語)として認識されても
そっくり、さっぱりは、オノマトペ感が薄いから、かも
やっぱり→やっぱし
あのね、オノマトペ感が薄くても成立する変化もあるよ
そうですね、参りました、若者の千変万化はなんでもありですね
ただね、ガックシ、ピッタシ、やっぱし、の賞味期限はそんなに長くはないでしょうよ
言葉は古びてくるのです
今は輝いているが、輝きを失うと、見向きもされなくなります
日本では、変態とは、即ち、変態、かなりな変態、アブノーマルなことですが
どうも外国では、欧米でも中国でも、違うようなのです
軽くエロチックなことを含め、日本では変態でもないことでも、ヘンタイと呼ばれているようです
ヘンタイをカバーする範囲がかなり広いようです
外国人からヘンタイと言われても、凹まなくてもええ場合があります
もちろん、心底ヘンタイと罵っている場合もあります
お宅が otaku (欧米圏) 御宅(中華圏) となって世界語化しています
同様に、変態がヘンタイとなって世界語化する過程で、カバーする範囲が広がったのだろうと思います
とりわけ、中国語で変態と呼ぶ場合、同じ漢字を使っているだけに
カバーする範囲がちょっと違うぞ、と見えてしまうのです
江戸時代以前には変態という語彙はそもそも存在しませんでした
明治になって、変態は変態でも、昆虫の変態 metamorphosis この言葉が誕生しました
性的な意味での変態は、戦後になって生まれた、んでしょうね
最近になって、中国人がこの変態を移入し、使ってはいるけど、使う場がずれている
こういうことだと思います
「火群のごとく」あさのあつこ 文芸春秋
ほむらのごとく、と読みます。
小舞藩六万石、そこで14歳の新里林弥、山坂和次郎、上村源吾、三人は道場の同門だ。
林弥は勘定方の家柄、和次郎は普請組の軽輩、源吾は執政の家柄にある。
樫井透馬が江戸から呼び寄せられた。
筆頭家老の家柄で、妾腹の子なのだ。同じく14歳。
正室の子が病弱で、死期も近く、嗣子とするべく呼び寄せたのだ。
林弥12歳の時、兄は殺された。
筆頭家老と中老との暗闘があって、兄は暗殺されたのだ。
源吾の家も焼き討ちされた。一家全員切腹した。
筆頭家老が中老一派を粛正したのだ。
ここから先は「飛雲のごとく」に続きます。
続篇を先に読んだのだ。
初篇を先に読んでおけば、素直に続編に繋がったのだが。
しかし、初篇このままでは、伏線を広げたまま、その状態で終わっている。
伏線回収を先に読んで、伏線を広げる段取りを見る、このほうが良かったかもしれない。
「舞風のごとく」で雑誌オール読物でこの続きを連載中だそうです。
連載が終わって、出版されるのはいつのことやら。
「弥勒」シリーズのように、何冊にもわたるのか。
「国道食堂」小路幸也 徳間書店
15篇から成る連続短編ストーリー。
一篇づつ、語り手が変わって、本人目線で物語を語っていく。
一篇で20ページ程度だから深い話を語るわけではない。
小田原から発する架空の国道、山の中に国道食堂はある。
今の店主の父が始めた食堂で、息子がそのあとを継いでいる。
息子はプロレスラーで、食堂の隅にプロレスのリンクを作った。
プロレスのイベント、アマチュアのコンサートなどに利用されている。
客のひとりで配置薬のルートセールスマン、彼からひとり芝居の稽古に使わせてくれと頼まれた。
ここから幕が開いていきます。
誰も彼も、今はしがない何者かだが、若いころは腕を鳴らしたことがあるんですよ。
青年のためにちからを貸してやる。
1st season とあります。
このお話し、シリーズになるんでしょうね。
ええ話しだなぁ。
ここは筒石峠と呼ばれているのだそうな。峠を境界にして、ここからは三原市大和町に変わる。
分水嶺の標識がある。江の川水系と芦田川水系の分水嶺なのだよ。
上下町、世羅町、大和町、三和町、豊栄町、向原町、八千代町、おおむねこの辺のラインまで広島県の分水嶺は南に引き下げられる。江の川が侵食したからだよ。
河川争奪もあって、安芸高田市八千代町と広島市安佐北区の境界の根之谷川は太田川が江の川から奪い取った谷で、上根峠が河川争奪の最前線なんだよ。
さて、その分水嶺を越え、芦田川側に入って行くと、前回、世羅西からやってきた交差点に出会う。ここは直進、200メートル先に分岐がある。ここを右折。
芦田川源流の看板に従って右折、たんぼの中の道を進んでいく。
養魚池が連続している。昔はたんぼだったのだろうが、掘り下げて池に変えてしまったのだろうね。錦鯉の養殖業なんですよ。
日本の錦鯉の最大の産地は新潟県旧山古志村で、広島県三原市大和町が二番目の産地なんですよ。だから養殖池が連続して出現するわけだ。
舗装路から砂利道に変わって、芦田川源流の碑がある。ここが芦田川で一番遠いとされるところなのだ。背後に祠があって、水分神社を勧請してある。
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これは一部分の抜き書きです。
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