風土記の丘から甲立古墳へ(自転車篇)
国道54号線をちょっと進むと、甲立古墳の看板が出ている。古墳発見のニュースは見たが、その古墳を訪問したことがない。
古墳への坂道はえらく急坂、とても自転車を漕いでは登れない。降りて押して登ることにする。
駐車場がある。多目的広場がある。名前は多目的だが、実態は野球場で単独目的なのだ。
ここからは歩きになる。細い道だが、擬木の階段もあって、迷うことのない道なのだ。
古墳に進む前に現役の墓地が点在している。ずっと散らばってあちこちにある。
立札に従って進んでいく。あそこが国指定甲立古墳と案内がある。
え、あれかい、意外に小さいじゃないか。広島県で二番目に大きいと聞いていたが、予想と違ってかなり小さい。広島県で一番の前方後円墳は東広島にあるのだそうな。
わたし、大阪の河内王朝の巨大古墳群を見ております。さらに、岡山県総社市・岡山市の吉備古墳群を見ております。とりわけ、吉備古墳群の作山古墳、造山古墳はでかいよぉ。
2016年_1月11日「吉備路自転車道 総社~吉備津神社・吉備津彦神社」 2016年_2月12日「吉備路自転車道、吉備高原自転車道 最上稲荷」
前方後円墳というと、巨大なものだという思い込みが刻み込まれていて、ええっ、ちっちゃい、想像を裏切る小ささだ
後円部を後ろから見ているのだ。山裾に向かって前方部があるのだ。それは古墳の頂点に立たなければ見えない。古墳の頂点に立つのは遠慮しとこうか。
麓の駐車場まで降りて、記念写真、看板のイラストが仁徳陵天皇陵・大仙陵古墳の模式じゃないか、これを見るから巨大古墳を思い描いてしまうのだよ。
大和王権がここまで影響を及ぼした、という前方後円墳にはがっかりだよ。これからは、出雲の四隅突出型古墳を探すことにしよう。出雲の影響がどこまで及んでいるか探ってみることにしよう。
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