京都の建物を見て唐代を思う中国人
中国人が京都の歴史的建造物を見て、我が国の唐の時代はこうだったのに違いないと偲ぶ。
それはそれで結構なことですがね。
中国では建築様式をどんどん変えていった。王朝の民族が違ったから。前王朝の様式を破壊するから。
日本では建築様式はあまり変わらなかった。王朝の民族が同じだから。
公園・庭園のアズマヤを比較してみましょう。
屋根と四本柱しかないから比較するのが簡単です。
中国のアズマヤは屋根の四隅が反り返っている、破風も屋根棟も装飾過剰、これは韓国も同じ様式です。
日本のアズマヤは屋根は極めてストレート、これが日本の文化様式です。
京都の建物を見て、我が国の様式だ、懐かしい。
この感想は不思議に思えます。
彼らの美意識なら【素朴過ぎる】【貧しい】このような判断を下すはずですがね。
京都で美意識に打たれたなら、帰国して、自国での美意識と衝突するはずです。
そういうことはならないでしょう。
あれは唐代のコピーだから、と言い聞かせて、違いを違いと認めず、バランスを取っているのです。
我が国が、日本に建築の様式・美意識を与えてやったのだ。
唐代の建築はこのようなものだったはずだ、そうに違いない、絶対そうだ、こう考えます。
他国の文化遺産で、自国の歴史を埋める行為を、恥とも無理筋とも思わないは、なぜでしょうね。
【京都の歴史的建造物を見た中国人たちの声「タイムスリップしたかのよう」】
サーチャイナ 2021-10-04 08:12
http://news.searchina.net/id/1702516?page=1
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