仮名手本忠臣蔵での塩冶判官ですがね
モデルとしては浅野内匠頭のことだとされています
塩冶姓、サンズイではなくニスイの塩冶
こんな姓はどこから引き出したのでしょうね
まず実在しそうもない、<えんやはんがん>を繰り出したのは
奉行所の取り締まりを逃れるためでしょうね
吉良上野介が高師直、大石内蔵助が大星由良之助
なんでこんな話を繰り出したのか、それはね
塩冶(えんや)という人が今でも現存するのが分かったから
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