家康の海
「家康の海」植松三十里 PHP
豊後にオランダ船が漂着した。
乗組員にウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンがいる。
他の乗組員は国に帰ったが、二人は徳川家康の傘下に入った。
題名は「家康の海」だが、ありようは、アダムスとヨーステンの海なのだ。
家康はヨーロッパとの交易を望んだ。
ただし、キリシタンは禁令、スペインとポルトガルは布教を強く望んだ。
大阪冬の陣夏の陣で豊臣方に浪人が集まるように手を打った。
浪人にはキリシタンが大勢いるからだ。
豊臣家が滅んでからはポルトガルにもう用はない。スペインとはその前に疎遠になっていた。
オランダが残った。
ウィリアム・アダムスは三浦按針、ヤン・ヨーステンは八重洲の地名を江戸に残している。
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