三河雑兵心得 豊臣仁義
「三河雑兵心得 豊臣仁義」井原忠政 双葉文庫
大久保忠与が生死の境にいるそうな。
家康は茂兵衛に死ぬ前に見舞いに行ってくるよう申し付けた。
淀の城から小田原まで鉄砲百人組、総勢三百人が四日で駆けつけるのだ。
箱根の山中で野武士に襲われた。反撃して蹴散らした。
捕えてみると、首領は風魔の小太郎だった。小田原の牢に繋いだ。
これは脇道のネタ、太閤秀吉と関白秀次の仲が急速に悪くなる。
世子徳川秀忠が聚楽第にいる。人質になりはしまいか。茂兵衛は家康に命じられて救出に向かう。無事救出した。
その後、太閤と関白の仲は最悪となり、高野山で腹を切った。
茂兵衛の立場での歴史談、どこまで続くんだろう。
惣無事令が施行されてから、戦はとんとなくなり、功名を挙げることもなくなるのだ。
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