世羅西、大和(三原)、豊栄(東広島)を行く、2巡目(自転車篇)
ここから平らなところを進んで行くと、世羅町と三原市大和町の境界になる。平らなところに境界があるから違和感がある。それもそのはず、極めて人工的な境界なんですよ。
明治のころは世羅郡はもっと巨大だった。周辺がぼろぼろと隣接の町村に合併して離れたんですよ。
三原市大和町の町役場がある下徳良も、もともとは世羅郡に所属していたのだ。
浄土真宗西本願寺派世羅組その構成を見てもらえば、世羅郡以外の寺が多いのに驚くと思うよ。江戸時代にはグレート世羅郡があったのだ。周辺が隣接の村々と合併してスモール世羅郡に縮んだのだ。
浄土真宗西本願寺派世羅組は江戸時代のまま変わっていないから現状と食い違っているのだ。
三次市三和町、東広島市豊栄町、三原市大和町、三次市甲奴町、26の寺で世羅組を名乗っているが、10の寺が世羅の外になっている。世羅の住所なのは16の寺だけなのだ。
境界からは登ったり下ったり、おおむねこのあたりがコースのピークじゃなかろうか。溜め池があって、このあたりが最高地点だろうと思うよ。
もうちょっと進むと、分水嶺の看板がある。日本海江の川と瀬戸内海芦田川を分ける分水嶺なのだ。
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http://sherpaland.net/bike/2024/bike-240926-seranixi_d_t2/bike-240926-seranixi_d_t2.html
熱中症警戒アラートに従って、8月9月はじっと潜んでいました。
熱波は鎮まった。いざ。ホームページ作成。段取り手順を忘れていました。ええと、これでよかったかな。
思い出すのに、手こずりました。
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