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2024年11月26日 (火)

庄原中学校 傘下の小学校その2、峰田、板橋、山内、東小学校(自転車篇)

前回から一ヶ月近く間隔が空いてしまいました。
それはね、ソニーのカメラが故障したから。リチウム電池がガス膨張して、カメラ室から取り出せなくなった。メーカー修理などで足が止まって転車での遠出を控えたせいなんですね。
頼むよ、リチウム電池、電解質(湿式)電池から全金属(乾式)電池に進化させてちょうだい。こんなトラブルは根絶させておくれよ。
さて、二度目の庄原中学校の傘下の小学校巡り、再スタートしましょうかね。庄原図書館の裏の駐車場に車を止める。
東へ庄原の市街地を突っ切って行く。庄原駅、庄原市役所から庄原インターへの道があるがそっちには行かない。その道から庄原中学への坂道を登ったが、急坂で漕いで登れなかった。
真っすぐ進んで、上野池公園のほうに向かう。ここが上野池、岬に弁天さんがいて、朱塗りの橋が架かっているのだよ。
この弁天さんの弁財天、七福神の恵比寿、大黒を含めて、神無月、旧暦10月の神無月に、出雲に招待されるのかしら。賽の神、貧乏神と同様に出雲大社からはアウトサイダーかもしれないね。
池のはたからは登り坂になる。こっちも急な上り坂だよ。西からの坂道は圧倒的だが、こっちはまだ頑張れば登れる坂道だよ。フェンス越しに庄原中学校が見えている。
先へ進もう。西の坂を下りて、二つの国道が交差する(国道183号線、国道432号線)新庄町交差点を抜け、中国道庄原インターチェンジの前を走って行く。
そのまま進むと、是松信号交差点に到着する。前回永末小学校から先へ進むのに道を間違えた。南に進むべきなのを西に向かってしまったのだ。
南に進んでいれば、ここ是松交差点に来るはずだったんですよ。悔しい判断ミスの記念ポイントなんですよ。

編集が終わりました。
これは出だしの部分です。続きは下のリンクからお出でください。

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2024年10月29日 (火)

庄原中学校 傘下の小学校その1、庄原、高、永末小学校(自転車篇)

急な坂道を乗り越える。明治時代に永末地区とその周辺が高村から庄原町に分離合併した過去があるのだそうな。
自然の境界としては、この峠は境界に相当するんじゃなかろうか。
峠を下りてたんぼの中を進み、石垣の上に建築物がある気配が伝わってくる。この上に小学校があるのだ。坂道はめちゃめちゃ急坂だよ。庄原中学校の坂は下りたが、ここのは登り切った。
永末小学校がある。学校の近所と宮内町を登校範囲にしてあるのだが、永末小学校の立地には古い歴史があるのだよ。
宮内町の湯郷ハイツが新興住宅地だが、小学校よりも後発だから、ここへ通わなきゃならない。もっと巨大団地なら単独で小学校を建ててしまうのだが、そこまで巨大ではないのだねぇ。
門柱に永末小学校とある。風化具合からしてかなりの年代物だよ。
坂の下まで下りてくる。
ここで痛恨の間違いをやってしまったのだよ。この交差点では右折すべきだったのだ。ついつい、道幅が広いので誘導されて直進してしまった。ここは南下するべきだったのだ。間違えて西へ向かっているのだ。
ジリジリと坂道を登っている。登り詰めたあたりに湯郷ハイツの看板が見えている。ありゃぁ、これは道を間違えているんじゃないかい。

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2024年10月15日 (火)

塩町中学校 傘下の川西、神杉、和田、田幸、小学校(自転車篇)

市内中央の三次中学校は傘下の小学校が2.5校、十日市中学校も2.5校、0.5とは、ひとつの小学校が、近い中学へ半分ずつ分割して、二つの中学校に送り出すから、0.5校と勘定します。
さらに、三次市でも塩町中学校は異色なんですよ。塩町中学校は傘下の小学校が4校から集まってきます。
戦後の学制改革で戦前の尋常小学校・国民学校は小学校に改組されました。
誕生して数年後、神杉、田幸、和田の小学校は合同して、塩町駅近くの平地に塩町中学校を建設しました(1949年)。後に川西小学校も参加して、山の上に移転しました(1955年)。
三次市は2回合併を繰り返していますが、最初の合併(1954年)、合併のはるか以前に塩町中学校は誕生していました。
言いたいのは、神杉中学校、田幸中学校、和田中学校、川西中学校は存在しているのやらいないのやら、存在してもても短期間、ということです。
学校組合立という制度で、村単独での教育財政負担を緩和しました。合併してからは、学校組合立は解消して市立となりました。
第一次三次市時代に、三次中学校、十日市中学校、塩町中学校、この三つで中学校をカバーしたこと、市政発足以前に中学校体制が集約していたことに驚きます。

マクラはここまで。これから本編に入ります。

川西郷の駅いつわの里に到着、ここに車を置いて、自転車でぐるっと回ってくるぞぉ。
塩町中学校、その傘下の川西小学校、神杉小学校、和田小学校、田幸小学校を回ってくるぞぉ。

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2024年10月 1日 (火)

世羅西、大和(三原)、豊栄(東広島)を行く、2巡目(自転車篇)

ここから平らなところを進んで行くと、世羅町と三原市大和町の境界になる。平らなところに境界があるから違和感がある。それもそのはず、極めて人工的な境界なんですよ。
明治のころは世羅郡はもっと巨大だった。周辺がぼろぼろと隣接の町村に合併して離れたんですよ。
三原市大和町の町役場がある下徳良も、もともとは世羅郡に所属していたのだ。
浄土真宗西本願寺派世羅組その構成を見てもらえば、世羅郡以外の寺が多いのに驚くと思うよ。江戸時代にはグレート世羅郡があったのだ。周辺が隣接の村々と合併してスモール世羅郡に縮んだのだ。
浄土真宗西本願寺派世羅組は江戸時代のまま変わっていないから現状と食い違っているのだ。
三次市三和町、東広島市豊栄町、三原市大和町、三次市甲奴町、26の寺で世羅組を名乗っているが、10の寺が世羅の外になっている。世羅の住所なのは16の寺だけなのだ。
境界からは登ったり下ったり、おおむねこのあたりがコースのピークじゃなかろうか。溜め池があって、このあたりが最高地点だろうと思うよ。
もうちょっと進むと、分水嶺の看板がある。日本海江の川と瀬戸内海芦田川を分ける分水嶺なのだ。

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熱中症警戒アラートに従って、8月9月はじっと潜んでいました。
熱波は鎮まった。いざ。ホームページ作成。段取り手順を忘れていました。ええと、これでよかったかな。
思い出すのに、手こずりました。

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2024年7月24日 (水)

ところで、あの県道工事はどうなった、432号線(自転車篇)

ここから下り、ブレーキをかけながら下りるのだが、自転車のリムはホカホカになっている。
ここが谷底の十字路、右折すれば青河町のほうへ行くし、直進すれば春木集落に出ることになる。ここは左折する。
一時はここの十字路に通行止めの看板が出ていたこともあったのだ。道路工事の案内が出ていたこともあったのだ。いつのまにか交通止め・道路工事の看板は消えてしまった。
道路工事の中断期間に自転車を押して工事現場を内緒で通ったこともある。道路工事はどのようになったのだろうね。
十字路からしばらくは広幅の道が続く。いつかは途切れる。ここからは軽トラなら擦れ違いが出来る道幅に狭まってくる。大型トラックは所々にある待避個所で擦れ違い待ちしなきゃならない。
カーブミラーには広島県と銘板が貼ってある。ということは、ここは広島県道じゃないか。
地図ソフトでは、マピオンではここの部分だけ(県道は黄色に塗ってあるのだが)無色の表示になっている。ゼンリンでは中立の立場。Mapfan では県道の扱いではない。
広島県の道路ナビでは、黄色に塗ってあるから県道、ただし、狭い道の表示になっている。GoogleMap ではれっきとした県道432号線になっている。
登り坂だから自転車を押して登る。どうやら峠まで到着した。峠の向こうは高規格道路、ここには工事予定の看板などはない。この先が工事になるのは十年計画、二十年計画なんだろうなぁ。
完成した道を下って行く。辻塚下の三叉路に出る。工事前の道も知っているが、これが県道?と信じられない狭い道だったよ。高規格道路の今とは比較にならない。

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2024年6月24日 (月)

広島県世羅町、山田川ダムから三川ダムへ(自転車篇)

山の中の峠を越えて、さぞ下るのだろうと思ったが、大して下ることもなく、山田川ダムの周辺道路に合流した。
周辺道路を上流の方に向かうと、ショートカットの道が新設してある。高速道路尾道道を建設するのに、足元もついでに建設したのだろうね。
時計回りに山田川ダムに沿って進むのだが、ダムの水際から道路までは樹木がびっしりと繁茂していて湖面は全然見えない。
ダムの堰堤まで来て、やっとダム湖面が見える。最初、ダム湖の名前をすずらん湖と命名するはずだったが、地元の小字が播磨なので播磨湖と名付けたのだそうな。
小字の名前が兵庫県の古い国名と混ざって、よその地の人間からは御大層なお名前を名乗っていらっしゃる、と誤解を与えることになったんだよね。
山田川ダムの堰堤から県道56号線に沿って下って行く。谷が開けて県道51号線に乗って進んで行く。あれ、あそこは東自治センターの建物じゃないか。そこに近づく前に曲がり角がある。
またもや県道56号線に沿って進んで行く。この56号線、急変して谷沿いの道に変わる。これでも二桁県道かい、しばらくは自然ばっかりの道を進んで行く。
中山田、下山田の集落はあるが、すぐに人家も何もない自然ばっかりの道を進んで行く。
開けてきた。国道432号線を横切るのだ。国道を突っ切って、直進する道に進むのだ。この道は里道なのだよ。
芦田川に出会い龍王橋を渡る。龍王とは地名ではないと思うよ、美称だろうね。
生活道路と山に登る道があるが、不確かな道の方を選んで登って行く。
世羅高原ふれあいロード、またの名を、世羅広域農道と出会う。山田川ダムへの登り道で金毘羅神社の先で交差した道なんだよ。ここで再び交差する。ここから三川ダムへ登って行くのだ。
もうちょっとの頑張りだよ。最後の坂道を自転車を押して登って行く。

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2024年6月11日 (火)

庄原の葦嶽山、天空の路を行く(自転車篇)

峠の位置について語っておくとね、県道422号線の通る峠から西に大山があるのだよ。大山の麓は大谷町で、峠から葦嶽山へ向かう舗装路の範囲は大谷町に属するのだ。
で、葦嶽山の頂上はどこに属するのか、地図表現がむにゃむにゃとなっていて判断が付かないのだよ(by Mapion)。大谷町か本村町か、どっちなんだろうね。
稜線の道は下り坂になってきた。このあたりに民家などないじゃないか。さっきの郵便配達はどこに向かったんだろ。
推測すると、峠から南に下り坂を下る。最初に是本集落がある。ここは大谷町に属して、赤川郵便局の配達範囲なのだ。
次の集落が田尻集落、ここは総領町に所属していて、郵便の配達範囲は総領郵便局から、ということになる。
ということで、稜線の向こう側まで本村側は支配が及んでいたのだ。鎌倉時代か室町時代の地頭が強かったんだろうね。
なんだ、頼りない、奪われたものなら押し返せばええやん。
いいえ、豊臣秀吉の天下惣無事令が効いたんですよ。軍事行動を起こすと攻め滅ぼされるのです。現状維持するしかしょうがなかったのだよ。惣無事令は徳川家康も引き継いだのだよ。
眼下に大谷町なのか総領なのか深い谷底が見えている。
どうやら登り坂はおしまい、下り道になってきた。ほぼ水平な道を自転車を漕いでいこう。まさに天空の路を行っているのだよ。
葦嶽山への登山路分岐が見えてきた。この道を行っても良し、次の登山口から行っても良し。

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2024年5月21日 (火)

三原市大和町、残りの南半分(自転車篇)

ここにも地図の看板がある。県道には行かずに直進して、その先を自然に左に曲がって行くのだ。
山の中の道を行くと地図と照合すべき目印が何も見当たらない。たまに溜め池に遭遇する。地図と現地とをマッチさせるには重要なポイントなんだよ。
ここが前半部での最高地点、広石集落と別所集落の間の峠なんだよ。下りたところが別所集落。
ここも交差点を直進するのだ。棲真寺、向用倉農業公園への看板があるが、どれも平地への方向ではなく山への方向を指し示している。
フライトロードの看板があって、県道49号線を進めばよい、ただし、それは自動車への案内、自転車は進入禁止で他の道を行かなきゃならない。直進するしかない。
フライトロードの高架を潜る。
棲真寺への道の案内があるが、行くのはやめておこう。下って、へとへとになる登りが続いているのだよ。君子危うきに近寄らず、このまま真っ直ぐな登り坂を行ったほうが間違いがない。
この登り坂、真っ直ぐな道なんだよ。自転車を下りて押して歩く、どこまでもどこまでも押して歩く。いやぁ、長いなぁ。途中、棲真寺からの道が合流してくる。
向用倉農業公園が見えてきた。農業公園の門前が最高地点なのだ。農業公園に入ってみる?いいや、全然その気にならない、パスしよう。

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2024年5月 8日 (水)

三原市大和町、ほんの要所だけ(自転車篇)

ゆるやかな道を進めば、山の中に入って、東広島市豊栄町との境界になる。
このあたり、大和町も含めて、美辞麗句・美称の自治体名が多いのだよ。豊栄町、福富町、三和町。今は覚えたが、最初は混ざって取り違えてばかりいた。
近隣の河内町、本郷町、久井町など、昔からの地名に支えられて誇っているでしょ。
椋梨川の渓谷を下りて、和木の交差点まで戻る。
交差点の北側角の二軒が凄かったのだよ。長い年月無住で瓦は落ち壁も落ちて危険だったのだよ。今は廃屋は取り壊されて更地になっている。堪り兼ねて公費でやったのかなぁ。
ここは左折して国道432号線に乗って進んで行く。世羅へ、庄原へと進んで行くのだ。
道は自転車を下りて押して歩くほどの傾斜ではない。どこまでもジワジワ登り傾斜で、こたえるよねぇ。
道脇の歩道が幅広くなってくる。自転車道なのだ。この先に中学校があるので、自転車を通学に使うべく歩道の道幅を広げたのだ。その分、車道には自転車のスペースはなくなってしまった。
中学校の正門の前で幅広の自転車道は解消する。
ここからはほぼ平坦な道が続いている。
この道で中学生に自転車勝負を挑まれたことがある。いっぺん抜くとムキになって抜き返してきた。ここは勝ちを譲ったよ。譲るというより、中学生の馬力が優ったのだね。ガンバレヨォ。

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2024年4月29日 (月)

三回目の芋面川完全踏破(自転車篇)

ほぼ平坦な道が続いて、芋面川の流れに出てきた。ここは川を下って芋面集落に入ってみようよ。数軒の民家がある。
この芋面集落は三若町の区域なんだよ。三次市合併前の行政単位は川西村、川西地区の中心は美波羅川にあって、山を越えて芋面川まで範囲が広がるのは不自然なこと。
恐らく、鎌倉時代・室町時代に強力な地頭がいて、版図を広げたものでしょうね。それが今でも続いているのだろう。
小学校、農協の地区割り、郵便配達など、準・神杉として組み直したと、どこかで読んだ覚えがある。
引き返すと、一級河川芋面川上流末端の標識がある。三次市三若町字城山甲162番の3地先と住所表示がある。紛れもなく三若町とあるでしょう。
ここからは自転車は押して登らなきゃ到底無理。
芋面川の流れも最初のクランク大曲りまでは見えていたが、二つ目のクランク大曲りでは流れの姿を消してしまった。
峠に出ました。峠の名前は知らない。お堂がある。一本の柱で出来ているから一本堂、奈良県では傘堂・からかさ堂と呼んでたよなぁ。
ここから下へ向かえば掛田大橋のところに出て、橋を渡れば川西コミュニティセンターや川西小学校がある。
今日は上への道を行く。やっぱり自転車を押しながら登って行く。
今日の最高地点がここなのだ。ここからはダラダラと下って行く。
民家が現れた。庭と道とが未分化で、道といわず、庭といわず、農業用ビニールを広げている。自動車が通れば邪魔だが、よその自動車が来る心配もないよなぁ。
帰って地図ソフトのマピオンで照合すると、この民家は三若町久留比の住所になる。
この民家の谷に新しい道が出来ているのだ。この下の新旧の道の分岐で迷ったところ、そこに新しい道が繋がっているのだ。
谷向こうの峠から先は有原町久留比の住所になる。峠から下ると民家が見えている。ゼンリンの地図では民家の形状が映し出されている。ほぼ接近した集落が大字が違うのはよくあることなんだよ。
隣接しあっている集落が別々の大字に分れているのはここだけじゃない。他にも幾つも見たことがあるよ。

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