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2023年10月 3日 (火)

自転車で北広島町、豊平どんぐり村コースを行く(自転車篇)

北広島町を自転車で走ることで思うのは、千代田・大朝・芸北は自転車で走っているのに、豊平には自転車で走ったことがない。これは行かなきゃなるまいよなぁ。
中国道を千代田インターで下りて、国道261号線から国道433号線、途中の吉川元春城館跡へは、つい先日8月28日に行ってきたところなんですよ。
吉川元春城館跡は豊平の地内にあるから、全然豊平に踏み入れていない訳でもないのだよ。
そのまま車を走らせて、豊平の旧役場前あたりで国道433号線を離れて県道40号線を走ると道の駅豊平どんぐり村に行きつく。
大概の道の駅は道の沿線にあるもんだが、ここのは違う。道から引っ込んでいる。売店の他に宿泊施設やいろんなスポーツ施設を抱えている。
さんさん市という名の売店とそば道場どんぐり庵の間の駐車場に車を止める。
北には龍頭山が見えている。南を見ると、とよひらウィングという室内体育館が見えている。野球・テニス・フットサル・グランドゴルフ、などなどの設備が整っている。
車から自転車を引き出して走り出すとしましょう。
県道の脇に道の駅豊平どんぐり村と看板がある。道の駅そのものには看板がなかったよなぁ。
路面にはどんぐりコースとプリントしてある。サイクリングの案内プリントなのだよ。
ここに龍頭山への登山道取り付きがある。ここから龍頭山に登って行くのだ。遊歩道と案内があって、いかにも気軽そうにグレードを引き下げてPRしてある。
県道から真正面に龍頭山を見る。ここの山はむっくりと起き上がった山で、整備された道があるので歩き甲斐のある山だよ。

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これは出だし部分の抜き書きです。
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2023年9月16日 (土)

毛利元就郡山城入城五百年(自転車篇)

安芸高田市内を行くと、あちこちで毛利元就郡山城入城500年のポスターが貼り出されています。
郡山城入城にも二段階あって、幼い当主の後見として叔父として入城したのが最初、その後合戦で働きを見せて、当主に就任して入城したのがその節目、入城500年はそこから数え始めているのだそうです。
ヤクザで考えてみるとよく分かるよ。
最初はオジキとして入った。先代からのサカズキだから、当代の幹部会には出席できない。出入りで名を上げ、幼い当代に変わって首座についた。あらためて全員、サカズキを元就からもらった。
こう考えると理解できるでしょ。
安芸高田市の駐車場に車を止めた。駐車場に空きはなんぼでもある。どこの自治体でも駐車場は空いている。ただし、三次市役所の駐車場には空きは少ないよ。他の会館・施設に止めたほうがベターだね。
ゆめタウンの前から郡山城を眺める。低い山なんだがなぁ。
安芸高田市歴史民俗博物館の前を通る。ここには一回しか入ったことがない。一回入れば十分だとも言うがね。

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2023年8月31日 (木)

千代田から吉川元春城館跡へ(自転車篇)

尾根を下りれば吉川元春城館が見えている。
また志路原川を渡る。建物が見えているが、それはトイレと土産物店なのだよ。芝生の奥に、国史跡吉川氏城館跡戦国の庭歴史館と立札がある。
歴史館に近づいて見たが、閉館中だった。そうか、今日は月曜日だ。あとでホームページで確認すると月曜休館となっていた。
ここには館史跡が二ヶ所ある。日野山・火野山・日山に山城があって(同一名称、資料ごとに名前が違うのだろうな)、大朝側に館史跡が三ヶ所もある。
城塞としての城は理解できる。軍事の城はひとつでええとして、政庁としての館がそんなに幾つもあるのが理解できない。
そんなに転々と政庁を動かしたのだろうか。吉川本家の館、一族支族の館が、資料がとぼしくて、未分離で今に至るのかもしれない。
引き返そうか。尾根の坂道を登り返すのはいやだね。志路原川に沿った道がある。それを行こう。あまり車が入る道ではないからさらに好都合だ。
里道は国道433号線に合流する。国道433号線とは三次大竹間を結ぶ国道で、国道261号線とはX型に交差しているのだ。
国道は舞綱地区に入って行く。舞綱はもうつなと読むのだよ。難読集落名があるが、これはちょっとだけ難読、はるかに易しい読み方なんだね。
おっと、町道の案内がある。町道瀬丸線とある。ここは蔵迫。峠を行くより川沿いに行ったほうが自転車には楽だ。自動車のおねぇちゃんがいたので確認する。
ここからの町道は自転車でも行ける道ですか。草に覆われているとか、そんな道じゃありませんか。そうなんですか、普通の道なんですね。どうもありがとう。
なるほど、教えてもらった通りだ。普通の車道なのだ。志路原川のせせらぎがちゃらちゃら流れている。

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2023年8月24日 (木)

三次・庄原、国道と並行する脇道を行く 3

たんぼの中の道は山の中の道に変わっていく。もう漕げない。自転車を押して歩いていく。
熱中症警戒アラートの中を進んでいるのだ。木陰になって、ほんのちょっと休もうと思っても、大休止になってしまう。いっぺん降ろした腰が上がらないのだよ。
登りの道は折れ曲がって下り坂を示している。ここから七塚原高原なのだよ。尾根は平らな高原になって牧場風景が良く似合うのだよ。
ポプラ並木が特徴的なのだ。観光ポスターで七塚原の風景としてよく見る姿なのだ。
ここからはざっと1キロ、道路が三次市庄原市の境界なのだよ。正しく言うと、三次市の区域が楔形に庄原市に食い込んでいるのだよ。
ほぼ楔の先端に三次市庄原市の境界標識がある。
池を隔てて広島県立大学が見えている。正面に回って県立大学に真向かう。
生物資源科学部と生命環境学部があるのだよ。他に広島キャンバスと三原キャンバスがある。
どうやら呼び名が変わったらしいのですよ。設立当初は広島県立大学だったのに、最近では県立広島大学と名乗っているみたい。
最初の予定では、ここから庄原の市街地に向かうつもりだったのですよ。あまりにも暑い。もうこれ以上足を延ばす気にならない。ここで打ち切って引き返そう。

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2023年7月31日 (月)

安芸高田 向原 吉田 八千代 安佐北区白木町井原市(自転車篇)

可愛川が大きく北へ向かうあたりが吉田町と千代田町の境界なのだよ。
対岸に、新庄みその工場が見えてくるあたりが吉田町と千代田町の境界あたり、ところが、新庄みその工場は吉田町に属する。川の流路変更で、自治体の境界が変なことになっているのだよ。
可愛川の流域を離れて、斐川の流域になってくる。土師ダムへの道に進まず、このまま国道54号線を進んで行く。
国道の左側に阿賀城山が見えてくる。この山で驚いたのはハングルが印刷されたビニールテープを見たこと。コースの下見に来たとき、ポイントポイントにテープでマークしておく、その名残りなんだね。
へぇぇ、韓国からの登山ツァーがこんなところまで来ているとは、びっくりだね。
真っ直ぐな国道で変化がない。やっと変化が現れた。上根信号交差点を左折する。ゆずりは農道と案内がある。
きつい登り道なのだよ。下を見下ろすと、上根峠が見えている。平地が切れ落ちていきなり谷になっているでしょ。
河川争奪の結果なんだよ。太田川水系の根之谷川が斐川の上流部を突き崩して流域を奪って行っている。明かな侵略行為で、これを河川争奪と言うのだよ。
ヘロヘロになりながら自転車を押して登っていく。
登り詰めた。ゆずりはトンネルがある。トンネルは下向きに勾配がついている。
トンネルの中ではハンドルが安定しない。よろよろと左右にぶれるので、これではいかん、歩道を押して下りていく。

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2023年7月18日 (火)

県道451号線、帝釈峡で一番マイナーなコースかも(自転車篇)

間もなく帝釈峡のホテルに到着する。岩をトンネルで穿ってある。ふたつのトンネルを経て、紅葉橋に到着、紅葉橋が庄原市東城町と神石高原町とを分けているのだ。
橋を渡れば神石高原町、トンネルを潜れば町立の歴史民俗資料館がある。資料館には入ったことはないが、トイレと有料の駐車場は使ったことがある。
ここから遊覧船が出ている。乗ったことがある。船は上流にちょこっと、大部分は下流のダム堰堤の手前まで行って引き返してくる。
救命胴衣は準備していない、イザという時、救命胴衣はここに、とのアナウンスもない。
コンプライアンス違反だよ。知床で遊覧船事故があったので、国土交通省の総点検があったはずだよ、指導に従わないとは、ちょっと無神経だと思うよ。
帝釈峡はこれで終わり、引き返そう。
ホテル錦彩館、ホテル養浩荘の前を通って、大きな交通標識がある。休暇村帝釈峡 県道451号線が見えている。この先国道に抜けるまで自動車には一台も出会わなかった。そんな道なんだよ。
いきなり登り坂、漕いで登るのは無理だ。自転車を下りて押して登る。最初の峠がここ、下り坂になって休暇村帝釈峡の案内看板が出迎えてくれる。行かないよ、ただ、地図的に示すため述べただけ。
この先の第二の峠を越えて郷原の集落までたどり着く。見る家々は今でも住まいしているのだろうか。どれも廃屋に見えるのだが。
今トラックに積んでいるのは農機具で、売り払っている姿にしか見えないのだがね。もう農業も廃業して農機具は全部売り払ってしまう。年寄りが亡くなると、次の世代は清算してしまう、よくある姿だよね。
郷原の集落内は往復車線の幅があった。集落を外れると一車線になった。行き交わすのは注意しながら横に食み出して交わして行くことになるね。
ここが今日のコースの最高地点、この先は一気に下って行く道になるのだ。

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2023年6月22日 (木)

自転車で一番楽に高谷山に登れるコース、粟屋西から(自転車篇)

自転車で、前に登れた道がまた登れるか。ゲキサカの程度によるよね。12年前に登れた道がまた登れるか。いや、とてもとても、加齢には勝てないよねぇ。
たとえ足を突いて休憩したとしても、ずっと漕いで登れたのは遠い昔、♪そぉんな~時代もぉ~あぁ~ったねと~♪
1、自転車で登る道は、東の寿橋から登る道、これが普通、2、三次大橋の北詰から登る道、3、今は廃止になった粟屋駅、つまり、北の下津河内から登る道
三つ目のコースは歩いて登ったことがある、自転車では、最初から登り道に使う気がせず、下りに使っただけ。
4番目、安芸高田市の高宮町から登る道もあるが、下ってみるとゲキサカで、これを自転車で登ろうなどと考えるもオゾマシイ。
地図を見ていると、横合いから差し込んでくる道があるじゃないか。5番目の道だね、それを利用して、登りの傾斜を緩和しよう。

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2023年6月10日 (土)

庄原市川北町、集中豪雨の惨状の跡2(自転車篇)

大兼池に続いて大兼峠、この先は西城の町へ落ち込んでいく。ここで引き返す。
大戸の集落を越え、ダム道への出合を過ぎると、西城町と旧庄原市の川北町との境界となる。
西城町大戸の集中豪雨の被害は今では回復している。ここでは被害の爪痕は見受けられない。
川北町に入ると一変する。平成22年(2010年)集中豪雨がここを襲った。当時はそのような呼び名はなかったが、線状降水帯に繰り返し襲われた。
近隣には雨が降る気配もなく、ただひたすら川北町篠堂に集中して雨が降った。
2013年に自転車で来訪してみた。谷の中に廃屋が残されている。道のわきに無住の家が残っている。山肌は引き裂かれたように崩壊跡があちこちに見える。
2013年から10年後、山肌の裂け目は緑に覆われている。一部の裂け目が残っているが、目を引くほどのものではない。
砂防ダムがゴロゴロ続いてある。支谷を塞ぐ砂防ダム、篠堂川をガチガチに固める砂防ダム、砂防ダムの見本市かというほど連なっている。
谷間の川沿いの民家が一軒残らず取り壊されている。きれいさっぱりない。代りに墓地があちこちにある。
どれも新しい玉垣、墓石も新しい。引越ししていくにあたって、家屋敷地に墓地を新設して去って行ったのだろうな。墓地の数だけここに住居があったのだ。
記念碑が残されている。平成22年庄原豪雨災害 篠堂川 復旧記念碑 復旧記念碑とあるが復旧してないよ。挙家離村(きょかりそん)ということなのだよ。
谷が広がって平野になって、取っ付きの家はどうやら廃屋のようだ。家は健在だが、庭は草ぼうぼうで人の出入りはない。放棄されたままになっているな。
でもまぁ、平野のところでは田植えもすんでいるし、ここまでは被害は及んでいないのだろうな。

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2023年6月 1日 (木)

安芸高田市の東半分、甲田、向原、吉田、甲田(自転車篇)

そのまま進めば安芸高田警察署に到着する。警察の前を左折すると、安芸高田市役所に到着する。
市役所の周囲は虫食い状態に駐車場が買収されている。全部市役所の駐車場なのだよ。みっともないことだが現実に対応するとこういうことになるのだろうね。
再び警察署まで戻って、左折する。事前に図上演習していた路地の道を進む。迷い道もあったが、ほぼ図上演習通りに進んで、可愛川の堤防に乗る。
上流に戻って毘沙門橋を渡る。毘沙門橋右岸の園地で弁当を食べる。
川の対岸に郡山が見えている。毛利元就の居城だったところだ。
吉田市街地を挟んで青光井山が見えている。尼子の軍勢が郡山城のすぐ手前まで攻め寄せてきたのだ。尼子は攻めきれず、兵站が尽きて退却した。チャンスを逸したのだ。
逆に毛利が尼子の月山富田城を包囲した。兵站に抜かりなく毛利は尼子を打ち破った。
郡山城と月山富田城を比べると、圧倒的に尼子のほうが城は強そうに見える。それなのに尼子が負けたとは、理解できない。どこかに根本的な統治の上手・下手があったのだろうね。

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2023年5月14日 (日)

尾道・御調から府中・諸毛町へ(自転車篇)

尾道市と府中市の境界にたどり着いた。ここが峠のてっぺんなのだ。この先は下り道なのだ。
サン・スポーツランド、あるいは、羽高湖森林公園、どっちが名が通っているのかは分からない。今日は休みなのだ、水曜日は定休日、ゲートには鎖で閉鎖してある。
羽高湖の野外ステージを眺めてそのまま行き過ぎる。
羽高湖の北の峠を越えて、諸毛町の中心部へ向かっていく。
諸毛とは[もろげ]、頭髪や髭などではなく、隠された部分の毛が諸[もろ]に見えるわけだ。えらい地名を名乗ったもんだな。中学生高校生の若い娘は住所を名乗るのに恥ずかしいだろうな。
諸田郵便局がここにある。諸は分かるよ、田の部分が分からない。周囲に田の字を持つ集落が見当たらない。どこから引き寄せた田なんだろうね。
山の中腹に民家が集まっている。これが諸毛の風景、山の上にけっこうな数の集落が出来上がっているでしょ。
谷のたんぼに沿って道を下りていく。たんぼはここまで、民家が集まっている、諸毛の民家の始まりであり、終わりでもあるわけだ。
ここから先は山の中腹の道を下りていく。ブレーキは下ハンドルを握っていっぱいにブレーキを利かす。指がしびれてくるので、たまには休んで、指をニギニギして疲労から解放してやらねばならない。
坂道の終わりが見えてきた。下川辺駅周辺の民家が密集している。一挙に里に押し出されたぜ。

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