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2019年2月 2日 (土)

福塩線、塩町駅から上下駅、往復(自転車篇)

川沿いに進んで、次は甲奴駅、前回はここでバテバテだったのだ。今日もけっこう疲労がたまっているけどね。
前回は2012年、今回は2019年、あれから7歳年取っているのだ。前と同じように動けるかというと、なかなかそうは行かないのだよ。
甲奴駅を越えて上下駅まで行こうと出発した。くたびれてはいるが、行け行け、ゴーゴー。
府中市上下町の境界看板を潜る。ここまではわずかに登り坂、ここからは下り坂でもないが、水平な道なのだ。
上下町の白壁の街並みのほうへ向かう。通りの奥まで行けばええのだが、くたびれたな、入口付近の白壁を眺めて、これでよしとしよう。
ここが上下駅、三次と府中のほぼ中間なんですよ。
中国語でカラオケを「卡拉OK」と書く。ほんとです、現地で確認しました。上下の人々が、横棒を書いて、上と下にちょんちょんと点を打って、上下と読ませている。カラオケのカの字だなぁ。
さて、帰ろうか。
府中市から三次市への境界看板を過ぎる。看板の神輿は甲奴町の須佐神社の神輿、祭神はスサノオノミコト。神社は小童(ひち)集落にある。
体はくたびれてはいるが、安田まではほぼ水平な道だ。上下川の下流に向かう道だから体に抵抗はそれほどない。
安田からは峠を登るのだよ。吉舎からは簡単に登ったが、疲労が蓄積しているので、頑張りが利かない。自転車を下りて押して歩くことになる。
道路の膨れたところで自転車から下りて地面にひっくり返る。背中をアスファルトに当てたままぼーっとしてたら、いつのまにか眠ってしまったみたい。
どれだけ眠ったんだろう。目が覚めると気分はすっきりしている。再び自転車に乗って漕いで行く。エンヤトットエンヤトット、眠ったおかげで体力が回復したみたい。

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2019年1月23日 (水)

火神城山、低山だが迷う山2

梢を透かして火神城山の頂上が見える。梢が邪魔で写真にはなり難いので写真はパス。
掘って崖にしてある工事跡が見える。段差を高くして攻め難くしてるのだろうね。
これは竪堀の跡だな。あちこちに工事跡が見えている。
地頭と呼ぶか国人領主と呼ぶか、強き者が支配している。東には塩瀬の集落、西には壬生の集落、どっちの勢力がここに城を構えたのだろうね。
検索してみたが、収穫はなかった。けっこうな数の工事跡があるのだよ。大人数の領民を駆使したことだろうね。大勢力の領主でないと持てる城ではないよ。
ここが火神城山、頂上なのだよ。三角点はありません。山名プレートもなし。
ここでは雪が降っているのですよ。梢の雪が融けてボタボタ落ちて来る。地面は雪でゆるんで踏ん張りが効かない。手袋が濡れて手が冷たくなってくる。
嫌になったなぁ。これ以上進む気が起きないじゃありませんか。引き返そう。

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2019年1月11日 (金)

世羅高原町、福山市、落差500メートル、激坂下へ上へ(自転車篇)

高速山陽道の向こうに山が見える。蔵王山なのだ。高速道路の下を潜って、ここが福山東インターのフェンスなのだ。これ以上福山市内に入ると走りにくいからここで引き返そう。
さっきの神辺第一陸橋を通るのは避けたいね。東の踏切を抜けて行こう。ものすごい名前の踏切だよ。11丁目の1踏切、命名の由来を知りたいもんだよ。
続いて、堂上陸橋、来るときは歩道を走ったが、帰りは車道を走ことになってしまった。歩道は道の片面にしかなかったのでね。
加茂川を越えて、帰って行くコースをうかがう。あの山あいを抜けて戻るのだ。
平野部分から山腹に取り付いた。ここからは激坂が続くのだ。下りは一挙に500メートル、帰りはそれだけ登り返さなきゃならない。
添付ページの轍Wadachiを見て下さい。プロフィールマップとして、コースの断面図が出ています。激坂を下って、登り返しています。
息が続かないよ。自転車を下りて押して歩くしかしょうがない。
たまには自転車に乗れる緩斜面もあるが、大部分は歩くしかないね。

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2018年12月18日 (火)

近郷近在、岡田山4、麓から頂上まで[ほぼ]完全版

ここが岡田山三角点、北側からの道は、先日、「近郷近在、岡田山3、純度100%の自然道で登る」で登ったコースなんだよ。
いったん鞍部を下りて、展望広場まで登り返す。ここは初日の出の名所で、東は伐採してあって存分に日の出が拝める場所なのだよ。
弁当も食べたし、目的達成、元の道を引き返そうか。
ここがコンクリート擁壁に沿う道、何度も通ったが、こんなところに道があるとは予想外だった。
自転車のデポ地点まで戻って来た。ここからは自転車で一気に下るぞ。
ここからはペダルを漕ぐことなく、ブレーキを掛けながら下る。ここが県道の峠、上田の峠なんだよ。ヘヤピンカーブで反転して県道に突入する。
急坂で、ブレーキに次ぐブレーキ、下ハンドルを握ってブレーキレバーに手を掛けないとブレーキを引くちからが伝わらない。
坂道の途中で心配になって自転車を下りる。車輪のリムに触ってみると温い。ブレーキパッドが焼けるほどではないがね。リムが熱くなるとチューブに熱が伝わって、パンクの心配があるのか、どうなのか。
ちょっと休憩してリムの熱を冷ましてみよう。下り道、再開。
国道375号線に合流した。ここからは自転車を漕いで進む。やっとブレーキの心配からは解放される。
川西郷の駅まで帰って来た。
繰り返して岡田山に集中したが、これで卒業だね。おおかたの道は尽くしたと思うよ。
タイトルに、麓から頂上まで[ほぼ]完全版、岡城の地蔵堂から峠集落まで山を歩いていたら、ほんまに完全版なんだがなぁ。ここを歩けてないから[ほぼ]なんだよね。
どなたか、ここを突き抜けて、[ほぼ]を解消してくれませんかねぇ。

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2018年12月13日 (木)

世羅高原ふれあいロード(世羅広域農道)、2回目(自転車篇)

もう昼食の時間だなぁ。走り出す前に、最初に決めていたんですよ。昼食を食べたところで引き返す。どこか適当な場所は、と。
ここにしよう、道端の藤棚の下、ここなら問題なし。
車の通りはほとんどなくて、道端で弁当を食べていても違和感なし。食べ終わったぞ。引き返そう。
ここまで来るのに登り下りの坂道で喘いだが、帰りも同じ。自転車を下りて押して歩くほどの坂道じゃない。それでも、坂道の途中で自転車から下りて息を整えなきゃとても持たない。
同じ道を往復すると、行きに楽したぶんだけ帰りにしっぺ返しがあるね。
再び黒川明神山が見えてくる。連続する明神山三山が世羅の風景だし、高山、早山ヶ城、新山、これも世羅の特徴なんだよね。
突き当りが世羅広域農道の起点・終点、地図の上にグイと一本線を引いたような道で、広域農道はこう造るのだよと見本のような道づくりなんだよね。
県道へ合流する。世羅町の領域には歩道がある。三次市との境界から歩道はなくなってしまう。同じ県道でもこの落差はなんだろね。
朝に車を置いてきた駐車場所まで帰って来た。
同じ世羅広域農道を走っても、前回は走り始めが10時過ぎ、今回の走り始めが9時半ごろ、前回は終点まで行ったのに、今回は途中で打ち切って引き返した。
どこが違うかと言うと、その間に9年の歳月があるのだよ。自転車の性能が上がったのでアドバンテージがあると思ったが、加齢のハンデキャップのほうが大きかった。
坂道のアップダウンが連続すると、やっぱり楽ではないね。ここで過去の自分との差が出たのだ。次は、川沿いの道のような平坦な道で過去の自分と勝負してみたいもんだよね。

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2018年12月 2日 (日)

近郷近在、岡田山3、純度100%の自然道で登る

通信鉄塔が見えている。来るときも通信鉄塔を見ているんですよ。その時はどこの通信鉄塔なんだろうな、あとで地図で確認しようなと思っていた。
ぼうっと生きているんじゃねぇよ。チコちゃんに叱られるよ。あれは岡田山の通信鉄塔じゃないか。たんぼの近くの道から見るのなら岡田山の鉄塔だと直ぐに判らなきゃ。
峠を越えて道は下り坂、ぽくぽく歩いているうち、蜂郷の集落は目の前に見えている。
帰って来たぞ、岡田山への道を、純度100%の自然道を歩いて登ったぞ。蜂郷集落近くの道は舗装道路だが、それでも自然路と呼んでも差し支えないと思うよ。
このコースは、ネットでは初出なんですよ。ネットで発表しなくても、歩いている人は大勢いるもんね。一般的にはね。
このコースにはテープもリボンもありません。どうも、登山者の気配が感じられない。難度は高いような簡単なような、ま、そこは、自己判断でトライしてね。

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これは、最初の明神山の周辺の部分の抜書きです。
次の明神山と最後の明神山はこの続き、下のリンクからおいでください。

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2018年11月30日 (金)

明神山連続三山走破、2回目(自転車篇)

谷は一挙に登り坂になって、見上げれば民家が上へ上へと重なっている。この坂道をセッセセッセと漕いで行かなきゃならない。
自転車を押すまでもないが、時々、息を整えるのに自転車から下りる。振り返ると山稜にアンテナ群が見えている。あれは岡田山頂上のアンテナ群なのだよ。
やっと激坂を登り切った。登り切ったところに地蔵堂がある。峠の地蔵なんだね。いやぁ、お疲れ、お疲れ、と癒してくれているんだろうね。
この先も登り下りはあるが、今までと比べるとへのかっぱ、大したことはない。
登り切ったところにほしはら山のがっこうがある。廃校になった旧上田小学校をNPO法人にして再利用しているんですよ。
道から離れて上田明神山に近づいて行く。山裾をそのまま進んで行くと、案内看板がある。ここは上田明神山の登山口で、看板の右に道がある。
さらにこのまま北に行ってみよう。
民家があって、ここは槇の集落なのだよ。10軒程度の集落で、突き当りに地蔵堂がある。地蔵堂から離れて、左右それぞれに民家が点在している。
ここから上田天神山を見上げる。あまりに接近しすぎているので、写真に撮ってもクローズアップ過ぎて写真にならない。
よし、満足。もう一度、ほしはら山のがっこうまで戻る。さらに街道の先を進む。

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2018年11月17日 (土)

近郷近在、岡田山、別の道では登れず2

どうも違う、この道ではないな。尾根の曲がり角で尾根に取り付いてみる。植林は若木でこの先に突っ込むのは難儀するな。
植林の若木は他の木の枝葉と争っているのですよ。成長して制空権を奪うと太陽の光を独占する。地表まで日光が乏しいので他の木が競り負けるのです。今は戦いの真っ最中だ。
ここはダメだ、引き返そう。
分岐まで帰って、途中に別の分岐があったな。そこまで引き返そう。
ここがその分岐、入って見ると、ちゃんとした林道で、幅広の道、石ころがゴロゴロしているのは難だが、ええ道じゃないか。
道の下にたんぼの放棄田のようなものが見える。道は、この先行き止まりの気配だよ。
さてはこの道、林道じゃないのだ、ここのたんぼへ通う農耕道なのだ。さすがに、ここのたんぼを維持するのは大変な努力が必要だよ。
江戸時代、隠し田というのがあった。年貢を逃れる隠し田なのだよ。さっき見た、蜂郷集落から離れたところにたんぼがあるのからすると、そんな歴史が続いているのかもしれないね。
蜂郷集落の周辺にはそんなにたんぼがあるわけでもない。はるかに山の裏側にたんぼがあるとは、行ってみなきゃ、歩いてみなきゃ、判るわけがない。藩の奉行所もそこまで目配りできたかしらね。
ここから山を見上げると、山肌は密林でとても入れるわけもないな。岡田山を目指すのは止めた、諦めた、引き返そう。

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2018年11月 9日 (金)

高梁川支流成羽川、ここから成羽川が始まる(自転車篇)

道が分岐している。直進すれば猫山スキー場から道後山西麓、右折すれば持丸集落を経て鳥取県に抜けられる。
ところが、県境の三国山トンネルの向こうは豪雨災害で通行止めになっている。わたしの今後の予定では、ここから自転車で県境コースを考えていたが、復旧するまで延期しなきゃならんな。
橋のこっち側は東城町なんですよ。橋の向こう側は西城町。橋の名前が永金橋、永金は西城町側の集落名です。橋の銘板に成羽川とある。
橋を渡らず、右折して進むと、持丸川と道後川が合流している。ここからは成羽川とは呼ばすに、持丸川、道後川と川の名前が変わる。
持丸川、道後川、どっちが主流か、どっちの川の水線が長いか。持丸川のほうでしょうね。地図では、三国山からの鳥取県との県境尾根から発していると描いてある。
ま、そこは、2013年_8月19日 「道後山山麓一周(広島県鳥取県)」で自転車で走っているから、成羽川の源流から高梁川への合流点まで、合わせ技で貫通したと言っても構わないでしょう。
ここで記念写真を撮って、川の終点から始点まで、一気通貫したことを祝うとするか。
少し下流に下がると、持丸川と道後川の合流点が見える。川原には累々と石が重なっているが、源流地帯だからまだ石も摩耗していないのだよ。
さて、帰ろうか。狐峠、槇が峠を越えて、駐車した場所まで帰ってきました。

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2018年10月31日 (水)

近郷近在、旧三次市最高峰の岡田山

橋のたもとで道が膨れているところがある。ここに駐車しようか。
橋の名前を見ると、新吉之口橋、ということなら、ここの集落が吉之口なのだろう。集落の背後の山が岡田山なのだね。
歩いていると、山の端に通信塔の頭が見えている。完全に間違いない。この道を進めばええのだ。
子計橋という橋で道は二分している。こばかりはしと読むのだそうな。橋を渡らず、橋の手前を左折して進む。
集落の外れで道は大きく曲がる。曲がって獣除けの柵がある。開けて閉めて、たんぼの道を進むと、また獣除けの柵がある。開けて閉めてさらに進む。
これはおかしいな。このまま進むと、吉之口集落から末国集落に進んでしまう。この道はたんぼの中の農耕道だ。引き返そう。
引き返して、さっきの集落外れの大曲りのところで谷への道が柵で封鎖してある。封鎖は厳重で、開け閉めできるようにはなっていない。
仕方がない。北麓からの道は諦める。子計橋には戻らずに吉之口集落の中を突き抜ける。よそんちの庭を突き抜ける。犬に吠えられるが、不審者じゃないからね。
新吉之口橋のところに駐車したが、そこまで戻って行こう。
なるほどなぁ、岡田山についてネットに上がっていない理由がわかったぞ。地図に道はあるが、柵で封鎖されているから進入できないのだ。誰もがこの柵に撃退されているのだ。
こっちから進むのは諦めた。岡田山の南麓から登ることにしよう。

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